遠山奇談後編 巻之二
第八章 善光寺へ参りし事
遠山材木を切出さん手立に、信州の名山を、望み見るにつきて、芋井の郷善光寺へ参りしが、
この御寺は、天智天皇三年甲子の草創とかや。
本堂を南向にして、南北廿九間二尺余、東西十七間。高さ九丈八尺といふ。
此堂を拝むに付、御本山大堂のことをいよいよ思ひいづる也。
中中容易なることにあらずと、同行いづれも感ぜり。今は天台大勧進、浄土本願ともに四十八
坊あり。其内清僧三十一坊、妻帯十五坊にて、寺領千石といふ。
善光寺は、いにしへ欽明天皇十三年に、此本尊わたり給ふ。
其後皇極天皇御勅願として、はじめて御堂草創(さうぞう)まします。
本願は本多善光(ほんだよしみつ)と稱ず。
これ善光寺根本の説也。然るに百八代陽成院の御宇、慶長二年太閤秀吉の御さたとして、本尊
を上洛ましまして、大佛殿の腹内にうつし奉るに、その地、如来の思し召に叶はずや、多くの
災あるにより、豊臣公の威勢にても、手立なく、もとの信濃芋井へ迭りかへさる。
其時百石斗寺領まされたり。これ今に残れり。しかるに善光寺に龍燈(りうとう)とてありしが、
龍宮より燈明をさし上るといひつたふことなるが、其事實を見るに、毎年七月十四日より、十
五六日のあいだ、犀川より、夜ふけて龍燈上る。西の方の山際、樹木のこずへを、つたいつた
いて御堂の南表の破風にかゝる也。御堂は八棟(やつむね)づくり。
又鐘木作(しゅもくづくり)ともいふ。
此龍燈のことは、善光寺にてふしんの一つなり。