第十章 ちゃうちん木の物がたり 附り 小ばたへふたたび帰らんといふ事

 
 谷々山々を越行ほどに、けふも夕陽斜になり、谷水ちかき方をえらび
宿りもとめんとてつ

たひゆき、よき木陰にぞ宿り、夜も更行にまかせ
て、山犬狼などさけぶ聲、みなみな心よか

らず。犬は人々の間へ忍びお
それてゐるてい、皆々火を力とするより外なければ、夜もすがら

焚火し
てこれをしのぎし也。

夜前の蟇といひ、こよひの有さま、誠に無上の快
楽をもとめんと欲ときは、是らの艱難は物

のかずならねど、此世に宿習
あつくそめなす凡夫なるゆへにや、いとおそろしき心もちさら

に止ずと、
述懐やら歓喜やら口々いひて一夜を明しぬ。

こゝに糧も乏しく成りぬるほどに、けふはもとの小畑へ立ち帰りふたゝび塩噌
(あんそ)のこ

とをはかるべ
しと立出けるほどに、大木こゝかしこに見當り、いづれも
一丈二三尺廻り長さ七間斗

しるし置、めづらしからぬ難所を又も過行ば、大なる檜見當れり。

此所は真那板蔵(まないたぐら)といふて瞼岨いふかたなし、大岩そびへし其半へ行みるに

一丈四尺廻り長さ六間余
(すなわち)帳にしるす。

時に杣平五郎つらつら此檜木に見とれ、手を拱き
思案がほ成しが、ついに思ひあたり平五郎

いふには、これはまさしく燈灯木
(ちやうちんぼく)といひし檜木成べしといふ。

其故は過し比此檜御用木として遠州川袋伊左衛門なりしもの請負て、杣日雇を多く抱へ伏出

さんと、先に山入して道を造り伏ん
(うた)とせし宵に其の路造りし道橋厘木、ことごとく一

夜の間にはねちらし、よるべきやうなかりしかば
伊左衛門いかり、こはにくきしわざ、いづ

れか王土なれば、武官の命も又同じ御用にありしを、此さまたげいかなることぞといかりて、

此日たとひ夜に入ともけふかぎりに伏出すべしとて、手わけして道をもとのごとく造り、

杣ども
大斧(おほよき)をもつて伐こみしに、俄にくらくなりて前後をうしなひしに、あらふ

しぎや此大木の茂りし枝々よりことごとく燈灯をさげ、其数幾千といふことなく火をともし、

木の下闇に火勢つよく、誠に都にて六月舐園會の
宵かざりを一つに合せしさまにて、皆々お

それぬはなし。

強気なる伊左衛門もこれには暫こまり、是をもとむるに手なし。

又時節もあるべきものをとて
武官へ此事を委しく告てやめにけり。

其後是を燈灯木と名付しは此木のことなりといふ。

 人々此物語を聞て身の毛いよだち、奇々妙々なる檜也とて恐れ入てぞ行過ける。

                                遠山奇談巻之二 終

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