第十三章 深山に宿り白き怪獣に出合 又夜中こずへに猛火飛たゝかふ事
こよひは岩かげにやどり、炊(かし)き人はかたはらに飯を焼けるが、何やらん眞白なる獣走
来りけるゆへ、おそろしくも枯枝にて叩ければ忽ち逃さりぬ。
暫して又走りくるゆゑ、取敢ず燃杭をもつてうちけるに又逃さる。
あまり心よからぬゆゑしきりに吉兵衛を呼、やうすをいへばはたして又来る。
吉兵衛心得たりとて燃たる木をさしてあてるにそれに喰付、そのまゝ突込しにこれにおそれて
や、又逃去しかども叉走来る。
吉兵衛かねて用意したる鐵炮をさし付るに又喰付。
そのまゝ火ぶたを切て放つに、胴腹どつとうちぬかれけれども其儘又逃去。
吉兵衛はしすましたりとて、落たる血をしたふて追ふて行ども闇(くらく)してわかたねば立戻
り、松明携へ二人召連慕ひゆくに四十間斗こなたに倒れ伏。
縄にて四足繋持(からげもち)帰りしに、吉兵衛もついに見ぬ獣にて何といふ名をしらず。
是全く怪獣なるべし。
大きさ猪ほとありて惣身眞白、惣毛の長さ二尺余狸のかほによく似たり。
むく犬のごとくすべて毛長ふして惣身の毛地をする。
是全く人のにほひに忍びずして走来るものか、おそろしさいはんかたなし。
此珍獣を狩人皮を剥とらせなめしをさせ、かねがね秘蔵せしを、東へ行商人をして望み金をもって是を買、今は東都の諸侯の珍獣となる
又此夜三更とも思しき比、猛火山より虚空を飛行し、木のえだにとゞまるかと思へば又飛、
うち合もみあひもみあひ、あるひは一つにかたまりて燃あがり、又はわかれ、度々のことなる
を、皆々見るにいとおそろしかりしがつゐにきえ失せけり。
山案内のものいひしはあれは天狗の戯なるべし。高山には折々あることゝかねて聞しが、定て
それ成べしといふに、皆々やうやう人心地となる。
かれといひこれといひ異怪妖獣などに只たへ忍びがたし。
深山の起臥も又倦こゝちすれど、此度の志願何卒成就いたさじとおもふ心を力としてぞこらへ忍
べると也。
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