第十四章 梶谷山より峻岨をしのぎ山中に宿り 夢中に木の有所告ある事

 
 明れば七つ釜のうち五つめへのぼりて大木あり。何れも帳面にしる
す。

それより梶谷山、此所は取わけ大木多繁りこゝにそ望む木どもあら
んと、山々谷々の瞼岨をか

らふじて絶頂へのぼれば瀧の七つ目、梶谷の
せりといふ。
すべて絶頂をせりといひならはせり

追々大木見當り番附してしるし置。

さて木の下闇に日も傾き、よきやどりを求べしと見めぐるに、難木ながらもめざましき大木あ

り。是よき木陰也とてその根に
よりそひ泊るべしと、旅の調度をとり出し、たびものして火を

たき、
何やらん咄しゐたりしも、けふのつかれにやいつとなく互にねむるうち、十余人のもの

一同に惣身厳冬のごとくひへ、氷をもつてかこみたるやうに覚へ、皆々驚き目をさまし、こは

いかなることや、いかに深山なればとて
今は夏也と疑ふて起あがりみるに、三尺斗隔て氷にて

天井したるごとく眞白也。むかふの木間をすかし見れば星の光見ゆ。

空は晴たるに此上ばかりかく閉ふさぐは、あやしきことなるぞといふより、吉兵衛平五郎天窓

(あたま)
のつかゆることなれば、這出てあをむきてこれを見るに、
此宿とせし大木の枝に腰を

かけたる姿、凡五丈斗なる人の形髪さばけたるやうに見やりしが、深山といひめなれぬ物に気

絶せぬばかりなしが、心をうちつけ、いと物すごくおそろしけれど、地にひれふし暫して又頭

をあげ、われわれどもは都にありし大堂を再建いたし度志願胸にせまり、それがために用ゆべ

き木やあらんと山入せしもの也。

何事もゆるし給へかしと、謹で伸ければ二人のものをめくばせしたるめの中、いやおそ

ろしく、もとのごとく這入しが、化生(けしょう)のものはつゐにさりぬ。

扨扨おそろしきこと哉。

今のは何にてやあらんといへども、誰もさとしえることならず。

皆目もさへて明るをまたぬばかり也しが、平五郎吉兵衛はたゞ何となくねむるにより、皆皆ふ

しんし、今の奇怪に皆々目はさへたるに、かれら二人は物馴しにやよくも休めるといひあへる

うち、俄に起て目をひらき、さてさてふし
ぎや。今の化生、我におしへていふには、是よりさ

きの池口、満澤、程野、
鹿々原(かがら)といふ山に大木あまたあり。

又大きなるなぎの下に大木のころびしものあり、尋見よと告るとおぼへて夢覚たり。

といへば、吉兵衛も驚き、われもそのごとく夢見たりといふに、皆皆ふしんの思ひをなしける

に、山案内にやとひし人いふには、此山には山男ありと
いひしが、さては先刻のは山男なりと

いふ。

皆々吉兵衛平五郎に對していふには、其時平伏せられし心もちはいかにと問へば、吉兵衛平五

郎は、それは何のわけもなし、威におそれおそろしさのみにいふたり。其時氷の天井と見へし

は両足のうら也とさとし、かたりあひ、おそろしさいふ斗なく、彼青崩山の岩壁にあやしき径

ありしも、此山男の通ふ路なるらんと、いよいよ明らかにしられたり。

 此山男は山神などゝいふべきたぐひにて、飛行自在のよし、さきに聞しかば、是に付うれし

きは、此度の志願はうきよの利欲のためならず、唯佛恩の
ありがたきより發起したるなれば、

我もちまへの才ならず、佛智の御信心よりなさしめ下さることゆへにや、大(だいぼだい)心

なりければ、天地にみてる悪鬼神皆ことぐごとくおそる也。

諸天善神ことごとく、よるひる常に守る也とも仰られ、又天神地祇はことごとく念佛の人を守

るとも、御教化浅し置せらしことはと思へば、
歡喜いふ斗なし。これらの現益(げんやく)を證據

と見れば、いよいよわれらが往生疑
ひなきぞと、みなみなよろこぶこと限なし。

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