第十五章 きじんの家にやどり ころび木を見いだす事

 
 夢の告によりて池口山へ行けば、数多(あまた)の大木
あり壹丈四尺廻り槻二本を見る。

是迄の木と異なりて王杢(たまもく)(12)とやいふもの也。

先しるし置、時に山案内の人のいふには、是よりさきにきじんの家あり、こよひはそれに宿か

るべしといふ。

みなみなきじんと聞ておそれ互に顔をながめしに、それは鬼のことにあらず、山住にて木地引

て世わたりとする藤右衛門といふもの也
と具(つぶさ)にいへば、みなみなわらひをふくみ、き

じんといふに物まぎれして
おそろしげに思ひしが、それはよきたより也いざ行て休まじとて急

ぎけ
るが、木地挽(きじひき)(13)の藤右衛門もいと心よくもてなしけるに心とけ、さまざまの

物がたりしたるうちに、木地挽のことなれば谷々もしるべしと思ひ、
かのなぎのころび木のこ

とを問しに、此さき鹿々原といふ所に大なぎあ
り、此なぎといふは山の崩れなだれたるをいふ

その下に大寝木(おほねぎ)(14)有といふ。是を聞に夢のごとくなれば歡喜こと限なし。

木地挽藤右衛門に一夜を明し、あくれば木澤村へいで、満澤山、上澤山いづれも五丈余の瀧

ありて、絶景いふ斗もなし。

程野、日影尾山を過、鹿々原に着、便(たより)が嶋のこなたの大なぎのもとへゆくに、人のゆ

きゝもたへし所を八里斗わけ入、かのころび木を尋ぬるに、瞼難をし
のぎてやうやうころび木

を見付しぞ置し。

立より見れば、いつの比よりか霜雪にさらされ槻の沈斗(15)にて廻り一丈八尺長さ十三間にて

ころびたりと見ゆ。

斧をもつて少しけづりみれば玉杢也、是を用る時はいかなるぞと杣とらせけるに、長さ九間幅

四尺五寸厚さ三尺也といふ。

各々感じ、是ぞ誠に夢想感得の奇材、佛神の加被力にて、われわれの微志を感じ給ひしかと思

へば、ありがたさ毛孔(もうく)に徹し、材木にむかひ禮拝する斗也。

此なぎを詠やるに三十丁余草木一つもなし。巌こゝかしこにそびへ立美景いふかたなし。

始終山林森々たる所のみ通ひなれしに、こゝははれやかにてめをたのしみ、はからず時をうつ

すうち、羚羊(16)多あつまり岩をくゞりて遊ぶて
いいとおもしろく見ゆる。

あの羚羊をとらへて見んとはかりしに、平七持子(もちこ)ども申合し、手拭扇子を取出しくる

くるまはしけるに、獣おのづから近づき、頻にまはせば余念なく
見とれたるさまなれば、かね

て綱を輪になし、岩の上に幾所もしき置ければ、おのれを忘れ輪の中へ入ところを引とり倒し

ければ、一同に走行おさへとる。皆々此日の興とせり。

此獣稀有なるものにて、しばらくにても岩の上にたてば、四足ともに石に吸い付はなれがたきゆへ、鴨の水かくごとくに、
互いに四足をうごかしゐる。此ゆへに横になりたる岩のはらへ取つくことあり、足のうら岩にすい付ゆへ也。
角は一本あり。
則羚羊角是なり。

さて材木も数多見終り。いづれも用をなすべき木なれば、いそぎ都へ告じとてことごとく書

しるし、此所を先限りとしてみなみな
濱松へ帰りぬ。

 遠山奇談巻之三 終

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