遠山奇談 巻之四 

第十六章 都の御方々を深山へ案内して出来瀧にて岩吉山にまよふこと


 
さつき半のころ都へ罷上り、其事を司る人に告知せけるほどに、寛政と改りし夏にも成ぬれ

ば、彼山々を見るべしとて、下司
(したづかさ)二人僕など相具し来り給ひける故、路の案内なく

ばならじとて、はじめのごとく七人の同行を路しるべとして、遠山の瞼岨へうちむかふ。

 物司なりし都の人は深山馴ぬことなれば瞼岨のするどきにいといたはしく、是に力をそへ、

四日を過てやうやう小畑村へ着ぬるぞうれし。

こゝにて、はじめのごとく山入の調度ども取揃へ、たべものあくまで貯へ、猟人もさきのごと

く吉兵衛をつれ、翌日立出て又出来瀧にかゝりしとなん。

 去年のけしきとは異なりて、洪水の後なるゆゑ、瀧の姿かわりて数多にわかれ、いよいよ峻

岨いやまして、歩みがたきことはいふに物なし。

一つの峰を越んとてめぐりめぐりて行けるに、めざましき大樅有しが、岩吉は去年に馴たるこ

ゝちにやきせる加へながら、此大樅の根際まで人より先に行けるが、あやしい哉。

 刀脇指品々凡参百余もありしが、此樅のもとへもたせかけ、磨たてたるもあり、又錆たるも

あり。矢根は凡千あまり積かさねたり。

岩吉目早く是を見て奇妙なる物ありとさけび、皆々を呼しゆへ、いそぎさしかゝりみるに、是

は天狗の所作
(しわざ)なるべしと見へたり。

 岩吉は此矢根一つとりて、きせるなどをさゝゆるていなる故、杣ども制し給へでも、ころよ

き物なれば持かへらんといひしを、齢松寺大にいかり、いや世間の言葉にも、落たるを不拾と

いふさへ人道の法なるに、まして奇怪のふるまひなる物に、手をかけるさへあらましものに、

携ゆくとは何事ぞやと制しければ、無全方
(せんかたなく)捨置ける。

 さてあたりを見るに槻五本あり、おのおの又しるし置。

それより諸久須村(もろくすむら)の人家をたのみて一夜をあかしぬ。

明れば濁り澤山へ打越には難所いふばかりなく、岩吉は去年に物なれたるさまにて、兎角足が

るに岩をとらへ登しに、いかなることかとかく睡眠發り
(おこり)、岩を一つこえては腰をかけて

眠るてい、外の人々はこゝをせんどと攀のぼるに、岩吉はとかく足がるに行ども、休みては眠

り、岩にかゝりてはねふるさま、いと物なれたるやうに見へて行ほどに、つゐに岩吉先へ行過

しける故、平五郎岩吉を思ひ、聲をかけ慕ひゆけば、岩を枕にして眠るゆゑ引起し、病にても

出つるやといへば、いや病にてはなく、草臥たるか只ねむたしといふ。しかれば此山中にて、

かやうに心ゆるすことにあらず、皆々と一つになるべし。

と引立て行といへども、猶いさむ體にあらず。つゐに同行ゆき過しける。

岩吉あとになりし故、又平五郎引かへしつれ来るべしと跡へもどりて、其所を見るに岩吉見へ

ず。聲をはかりに呼さけべども、瀧のひゞきにこゑとゞかず。

せんかたなく平五郎は此よしを人々につげれば、みなみなおどろき、是捨置がたく、三人づゝ

手分して見出すべしと申合、心をゆだねさがしけるに、平七は谷の石に濡し人の足跡あるを見

て、是こそといふまゝに、二組にわかち谷底さして尋ね行、峨々たる岩壁そびへたち五十丈余

とも思はれし瀑布いとすごく、足あともつゐに見へず。

此所は鳥も通はぬやうに思はれてさらにのぼり、たよりなき瞼岨なりと打より休息ける間に、

晴天俄にかきくもり、雷鳴こだまにひゞきてさとよりも厳しく、大雨車軸をなすうち、電光眼

をくらまし、危さいふ斗なし。木陰の茂みに立やどるといへども、木もたをするごとくにて、

おそろしさいはんかたなし。

晴間をまつに時うつして、申の刻とも思ひし比、詮方つき岩吉の見へざることぞあやしけれ、

是業報のいたす所か。

思ふにかひなくして手を盡しぬ。此上は都の人々にあやまちあらばいかゞせん。

いざともなふて村方にやどり、村の人々をたのみ夜と共にさがすべし。

われわれは是に待べし、をのをの其ことをはかるべしといへば、いづれも心得ず。

 しばらくにても、此所に同行を残し置ことあやうし、ともにいざなひ行べしといふに、よし

ともあしとも心定まらざるに、齢松寺は涙にくれ、何にもせよ、岩吉此山にまよひし上は、定

めし悪獣のためにつゐに身を果すべし。いたはしといふも限なし。

されども、平生業成
(ごふじょう)のみおしへにて、往生は疑はねど、目の前の不便いかゞせん。

つくづくと思ふに、此山は神領山内濁澤山のことなれば、山住大権現の鎮守なり。

これは即熊野十二所也。本地は即彌陀如来、此山中に今分入も、みのりの臺(うてな)再び建立い

たし度
(たき)ためなり。此山の鎮守には、さらにえにしなきにしもあらず。

岩吉は彌陀のはからひにていかやうとも成べし。

かく心付しうへは、佛恩の経営ともなるべし。

とて誦経
(じゅうきゃう)しぬれば、同行も是に引き立られ、念佛をはげみ、佛恩を報せしとなり。

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