第二章 所々材木をたづねもとめたる事

 すべて御材木は所々國々よりたづねもとめいだすといへども、事しげければよその事實は

もらしぬ。是は信州遠山のことのみを書しるすとなり。
  
 時は天明八つのとし、きさらぎ半の空のどかにして、よその人は春の
のどかさにいざなは

れ野山のあそびに戯をなせしに、門葉の徒はこれに
引かへ、みのりのうてな再びせじとこゝ

ろをゆだね、せつに木を尋ねも
とむることをのみはかりて、時の風情はめにも見ず心にもか

ゝらず、
 起臥にも心をこらし、遠州信州の深山へたよりもとめんとて、椎茸串柿とふもの

を商ふ人に手當して、費をいとはず大木ありやなしやを尋給ふべ
しとせつに(たのみやると

いへども、猶安からずして日夜をわかず心をこゝに
うつせしに、三春も過去衣手すゞし夏の

比、かの椎茸串柿など
賣興茂介(うるよもすけ)なりし者いさみ走来り、濱松の寺へ立越、春の比よ

り山中にて奥山へか
よふ賎男などにきゝつるに、是より五十丁道廿八里あなたにて、信濃駿

河遠江四ヶ國へかゝりて凡四十里四方といひならはせし遠山といへるに、槻の大立木あるよ

しを告たりと、しらせければ、濱松の人々是をきゝて
いでや日来の願ひ叶ふたりとて歡喜踊

(よろこびおどり)、とみに檀越輩だんかぢう)へ物がたりして、
みなもとのうてなはやなりたるこゝち

こそすれ。

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