第八章 深山にはじめて一宿(やどり) し大きなる蟾蜍(ひきがえる)にあふ事

 
 山中は木々の繋みくらくして、申の刻とおもふころは黄昏のごとくな
れば、たべもの宿所

のことをはかり、水音する方考へ尋し所に、年へた
ると見へつる小屋あり。

木の皮にてやねを葺、立木をはしらにし、藤づ
るにて結ひ付たり。

是は何の為の小屋なるぞとあやしみながらも、よき
やどりとて皆々こゝにて休み、枯木を多

くあつめ、したゝる水を汲と
り、たべものゝ事をはかりしかども、終日(ひねもす)のつかれた

るにも湯あびせず
と戯言をいへば、杣平五郎心えて、皆々へ湯あびさすべしとて、岩の窪

水汲入かたはらの岩のうへに枯木をつみ焼石をこしらへころばしいれ
るに終に湯とは成ける。

平五郎の頓才のおもしろきに、けふのつかれを
わすれてみなみな興じき。

 齢松寺は勤行(ごんぎょう)をはじめければ皆々助縁して念
佛し、こよひは月夜なれども茂り

あひたる渓かげにて更にくらく、夜と
ゝもに火を燒(たき)
、さまざま物語しあへりといへども、

つかれたる身にてい
つとなく眠りしに、狩人吉兵衛のつれ来る犬吼出しければ皆皆驚きしに、

吉兵衛いふには狼など来りしならん焚火をつよくすべしとて、薪を
あつめ火を一勢(ひといき)

たくに犬は吼てはしり出、又もとへかけ戻りかけ戻りいく度もなすゆへ、吉兵衛かんがへ、

狼ならば我もとにゐて出る
ことなきに走りいでゝ吼はいぶかしとて、鉄砲取出し二つ玉に薬

つよく
込なし出ければ、犬は吼ながら先に立行といへども、何事も見へずためらふうち、犬

の吼るむかふを見れば何やらん星のごとくの光り二つ、
あるかなきかに見へける。

 是なんくせものなりとてねらひをきはめ火ぶたを
きる。

あやまたず手ごたへしたりと思ひしに、犬は忽ち吼しづまりていとうれしげに尾をふりぬ。

吉兵衛はしすましたりとてもとの小屋へ帰りぬ。

皆の衆中は吉兵衛がいで行しあとにて何事なるらんやと火を燒燒もいとおそろしく、

はじめて山奥に行暮したることなればいと心ぼそく、
身の毛もいよだつばかり也。

 さて吉兵衛帰りければみなみな心やすく思ひ、ことのよしを尋ねつれば、吉兵衛いふには、

何やらん手ごたへしたりと
いへば、皆々安堵のこゝちなれど、猶安からぬやどりにて、夏夜

なれど
あくるを待かね、さまざま物がたりあへるうち、ほのぼの明わたるに、やうやう心た

しかになりければ、吉兵衛はねらいし所をさして出行みるに、
年つもりたる大蟇思ひはから

ずのんどをつらぬき、星と見へしは目の光、居ながら打れし姿壹丈あまり、身の大さ九尺四

方とも見へたり。

閉たる口の大さは凡四尺ほどもありけん。皆皆これを見て身のけいよだちぬ。

 齢松寺は是を見るとたゞちに倒泣さけぶ。皆々打寄齢松寺を介抱
し、もはやうちとめたる

上は驚くに物なし、心たしかにあるべしといさ
むれば、齢松寺こたふるに、いやさにはあら

ず。此蟾蜍といふものは、
おのが気を吹ては物を引取ゆゑ、和訓ひきといふ。

 其例をいはゞ,われ
われの家居に蟇いづる時、鼠など見やりけるに鼠目前に落倒ぬ。

今此蟇
も、犬の吼ける時より定て気を吹かけて引寄る望ありしものをば、吉兵衛の手にかゝ

り打とめられしは全く加威力
(かゐりき)ならんと思へば、
いとおそろしくも又尊し。

 其故は此たび大堂の木をもとめしと思ふ心も
我才智ならず、皆佛邊のはからひとかねてよ

ろこびければ、いづれも
皆攝取せられし身なればこそ、蟾蜍にひかるゝこともなく、却て世

わざわひを佛ふたりと思へば、かく嬉しなきに涙出たりといふ、暫びぬ。


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