華 誘 居 士

 遠山奇談 解題

 『遠山奇談』は、初篇四巻、後篇四巻の計八巻である。
その初篇は、天明八(一七八八)年正月、京都の大火で類焼した眞宗大谷派本山の東本願寺の材木を得る為に、
遠州濱松齢松寺の僧が「信濃駿河甲斐遠江四ケ国へかかりて凡四十里四方といひならはせし遠山」へ、同行七
人にて見分に出かけ、山中種々の不思議に出あい、逐に所要の用木を見出で、後に都より見分に入り、遠山の
うち二十五の山々より材木を伐り出した。
その折の「遠山谷々峯々にて、ふしぎなることども、又めづらしき鳥獣など出し奇談等を、有のまま絵図にあ
らはし、平かなにて委しく書しる」したものであつて、この筆者は華誘居士。

「寛政十(一七九八)年戊午之春大新板」「平安書林華箋堂梓」。

ゑ入四冊本、内容は二十章である。


 後篇は、この前篇に続いて著されたものであつて、前篇より三年後の享和元
(一八〇一)年、筆者は同じ花誘
(華誘)山人。「遠山にとなりし後の山々に、奇といふべきものあるを、手折あつめて」一篇となしたものであ
つて、この「遠山にとなりし後の山々」とは、いうまでもなく信濃を指すものであつて、四巻二十三章、遠山よ
り信濃の所々にわたつている。
 さらに、後篇末尾の記事によれば、続篇を著す事が予告されているが、その存否を明らかにしない。
ところが物集博士輯「廣文庫」には、雷鳥の項に、遠山奇談後篇巻之四蓼科山の雷鳥の項と同じ文句の記事をあ
げて、「遠山著聞集」より引いたことを記している。

 思うに、著者は、はじめ『遠山奇談』の意外に行なわれたことに驚き、さらに筆をすすめて、後篇、つまり信州
まで筆をのばし、或は、さらに勢に乗じて、続篇までもくろんだものであろう。
そして、初篇、後篇を合せたもの、あるいは続篇が成されて、これを合した三篇か、いずれかが、後年「遠山著
聞集」と改題して行なわれたであろうと推測されるのである。
 奇談の話者乃至筆者が、真宗の僧、それに信者であり、発行書院また真宗書籍店であつて、全巻に法義を引い
て説くというような眞宗くさい点が多くある。

 しかし、それらの点をしばらく措いてみるに、初篇は探検的な山行の記事を記し、山中に経験したことどもを
あげ、遠山山中の奇談、山住みの人々の山中の事物に対する心持を如実に描いている所に興深いものがあり、羚
羊の生態、伐木の状況などの一端までを傳えていて心ひかれる。
 後篇は、信州各所にわたり、傳説、縁起、古譚などを傳え、雷鳥の生態をも記している。
これらを助けるに、全巻の挿絵十九、いずれも想像をもって描いてあって、一種の稚拙感のうちに奇談にふさわ
しい雰囲気を漂わしている。

『遠山奇談』の初篇は、遠山山中での経験、聞書をまとめたものであつて、文飾を去って、その底の山住みの人
の心持を知る一助となりうると思う。
 後篇は、信州の各地にわたり、しかも、初篇の雰囲気をうけていて、なかなか興深い。この拠り所は主として
吉澤好謙輯「信濃地名考」(安永二年、一八七三)であるらしく、叙述をそのままとり用いている点が散見する。
これより考えて、さらに、続篇が刊行されたとしても、この範囲を脱し得ていないと推測される。
本書は最初の形、つまり、後に初篇とされたものが最も重要なものであり、後篇はそれを助ける従なものである
と解される。

 
 本書の判形は、半紙版。一頁十行書き、仮名交り文で、そのほとんどに振仮名がつけられてある。
初篇巻之一、十一丁。巻之二、十二丁。巻之三、十二丁。巻之四、十四丁。後篇巻之一、十五丁。巻之二、十二丁。
巻之三1十四丁。巻之四、十二丁である。
 はじめの『遠山奇談』は「遠山奇談ゑ入ごといつた題箋で四冊本であったが、後篇が出てから「遠山奇談初篇一二」
といつた形に改められ、巻一の見返し扉、巻四の奥付、発行書韓、廣告など全く省かれ、初篇一二、三四の二冊、
後篇一二、三四の二冊、計四冊となっている。
 
 発行書韓は、初篇巻一の扉に「平安書林華箋堂梓」とあり、巻四終りの丁には「平安李香堂蔵」とあるが、巻四巻
末に、眞宗の本の廣告をのせ、「寛政十年戊午四月発行、平安書林、銭屋利兵衛、蓍屋甚助」とあるをみれば、前記
の華箋堂、李香堂は、銭屋、蓍屋の堂號であることがわかる。

                             (向山雅重)

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