遠 山 奇 談

         『遠山奇談』 原本

第一章 遠山奇談

寛政一〇年(一七九八)に、京都で出版された華誘居士によるいわゆる「遠山紀行」であり、遠山の風物がはじめて世に紹介された書物である。原本は、和田の深尾善一郎氏宅にも第四篇までが所蔵されている。こゝに収録されたものは、向山雅重氏の解題つきの現代訳(『近世日本庶民生活資料集成』第一六巻所収、三一書房刊)の転載である。
 なお、本書が「勝手にこちらで拵へた」「まことに心掛けのよろしくないいやな本」であるという民俗学者柳田国男の指摘をも併わせて向後のために紹介しておく。

「遠山奇談といふ書物は、妙に近年になってから、古本足の店によく並んで居たが、まことに心掛けのよろしくないいやな本の一つであつた。京都大火の後の本願寺再建の際に、この派の或僧が用材を捜しに、遠州の山奥なる遠山といふ処へ難儀な旅行をして来た見聞録の形になって居るが、少しは事實が有らうかと思ふのは第一巻だけで、残りの四巻は全部が作り事、しかも類型のいくらもある、都会の住民の貧しい知識から、割り出したやうな空想を以て充ちて居る。さうして何処をどう通って遠山に入ったといふことも、部落や家の名なども一向に挙げて居ない。仮にさういう旅行が事實企てられたとしても、その旅人の話で無いことは勿論、三人や五人の中に立つ者があつたといふだけの、聞書ならこういふものにはならないだらう。つまりは只出かけたさうなといふ噂だけを聴いて、残りは勝手にこちらで拵へたものである。百数十年前にも、たまにはこうしたけしからぬものが有るからうつかり出来ない。
 但しこの御蔭に遠山といふ山村が、急に京洛の人に著名になったといふことは有るかも知れない。」        (「東国古道記」『定本柳田国男集』第二巻所収)

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