(五) 御鎮座地と氏子
諏訪様の御鎮座地は、古代人が居を定めた遠山谷のほぼ中央に当る
「尾の島」にありました。
社は、東側に遠山川が流れ込む青々とした大淵を見下ろし、南側に八重河内川が
遠山川に注ぐ小高い所にありましたが、正徳五年から享保四年にかけて(一七一五から一七一九)
のあいつぐ大地震と大洪水のため、現在地に社は再建され、今では当時の面影は全くありません。
氏子区域は、当初、遠山地区耕地全域でしたが、明治五年(一八七二)十一月、戸長制度が成立し、
それぞれの村が誕生したため、氏子も分散し、諏訪社は和田村の村社となりました。
その後、和田村から南和田村が独立。両村の村社となり、昭和二十一年(一九四六)七月、
宗教法人令により社格(神社の格式)が承認され、和田村・南和田村の氏神となりましたが、
現在は、南信濃村和田地区と南和田地区の崇敬者が氏子となっています。
なお、昭和二十八年四月七日に宗教法人法にもとづき設立登記されました。
(一) 名称及び所在地
諏訪社(明神様とも呼ばれている)
長野県下伊那郡南信濃村和田下市場一五九七番地
(二) 氏 子 (現在)
和田地区・南和田地区の崇敬者
(三) 目 的
建御名方神・須佐之男神を奉斉し、公衆礼拝の施設を備え、神社神道に従って、
祭祀(祭り)を行い、祭神の神徳をひろめ、本神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を
強化育成し、社会の福祉に寄与し、その他、本神社の目的を達成するための財産管理、その他
の業務を行う。
(四) 規 則
総則、機関、職員、財務、補則など、三十九条の規則を定め、この規則は神社本庁から承認さ
れています。
(五) その他
神社配置図、諏訪社位置図、諏訪社財産目録などが保管されています。
明治の頃の諏訪社