(九)御柱祭り

 
(1)由 来

 「おんばしら」あるいは、「御柱祭り」と呼ばれています。
正確にいえば、諏訪社の式年造営のことです。
 起源については、干支(
えと こよみの一種。十二支)の寅年と申年(さるどし)の七年目ごとに諏訪湖半の
上(
かみ)、下社(しもしゃ)の諏訪大社の宝殿、社殿、建造物の造営のほか、御宝殿を中心とする社殿の四隅
に巨大な柱を建てたことが、このはじまりだと言われています。 
 この御柱祭りが、諏訪から南下して遠山谷に伝わったのは、定かな記録はありませんが、諏訪文化の交流に
よって信仰が芽生えて御射山祭りと共に当地でも、盛大に行なわれるようになりました。
 遠山谷で行なわれている御柱祭りは、諏訪大社の祭りに較べると、祭事、規模そのものに大きな違いがありますが、
寅年と申年の七年目ごとに行なっていることは、共通しています。
 諏訪社の記録では、杜
(もり)に諏訪大社の神霊(神様)を迎えたのは、承久元年(一二一九)三月三日とあります。
(承久元年は四月十二日ですから、三月三日は前の年の元号です。造営は、前年の戊寅(つちのえとら)の年から準備しました。)

 その後、記録に出てくるのは、明治五年(一八七二)拝殿を再建したとあります。
この年は壬申
(みずのえさる)の年でした。
 続いて、明治二十九年(丙申 
ひのえさる)の年に拝殿、舞殿を再建、建設、大正15年(丙寅 ひのえとら)に、
神殿が造営されたとあります。
 記録でみるかぎり、寅、申年に造営していたことがわかります。
 御神木が建てられるようになったのは、明治十七年(甲申 
きのえさる)の年からで、崇敬者の献木によって
でした。以来、今までに二十一回を重ねています。


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