穴の中のかえる

 今から百二十年ほど前の話だとさ。
池口には昔大−きな穴のあいた田んぼが一つあった。

この田んぼは明神様の田んぼと呼ばれ古くからしきたりがあったんじゃ。
むさ吉のおばーはいつもいいきかせておった。

「むさ吉、よっく聞けよ。
あの明神様の田んぼはな一子供が大好きだで田んぼの穴にゃあ決して決して入っちゃあかんぞ。」

 むさ吉は明神様の田んぼの真横に住む五つの坊じゃった。
むさ吉は、素直でやさしい子だというに母親はむさ吉の親とは思えんほどじゃった。
この前も村人と口げんかをしとったそうじゃ。

 
 ある春の日のことじゃった。その日はたいへんあったけー一日じゃった。
道にゃーふきのとうがはずかしそうに顔を出しとったんじゃ。

むさ吉は田んぼのあぜで一人で座っとった。持っとった棒で土をほじくって遊んどったんじゃ。
だけど何を思いついたのか棒きれをほおって明神様の田んぼへと入っていきおったんじゃ。
むさ吉はおばーから聞いたことがどうしてもばからしくて信じられんかったんだと。

穴を目の前にしたむさ吉は穴の奥底からする奇妙な音に気がついたんじゃ。
ポチャチャボチャチャ。
「なんだこの音はー。びっくりしたなー。」

いくら五つの坊でも穴の中に水があることぐれー想像がついたんじゃ。

 不思議に思ったむさ吉は穴の中のことをますます知りたくなったんじゃ。
手を縁にしっかりとつき、足を曲げひざっこぞうを田んぼの土につけた。
顔をさげた。ツルン、ポチャン!むさ吉はあっという間に穴の中に落ちこんだんじゃ。
むさ吉の背たけぐらいの穴だったから、ろくに日の光もはいらんかったようじゃ。
どろのにおい。生ぐさいにおい。

穴の中はこんなにおいでいっぱいじゃった。
…むさ吉は気がついたんじゃ。自分のしりと足がどろ水でぬれとることに。
時間たつにつれて着とるもんにもしみてきたんじゃ。
そしてだんだんむさ吉のほっべたには涙が小川のようにチョロチョロと流れてきたのじゃ。

しばらくするとむさ吉は足の下にぬるっと動くものを感じたんじゃ。

泣きながらおそるおそる足を左に動かしたんじゃ。すると足の下におったもんもピョンとはねおった。
みると一匹の大きなかえるだったんじゃ。

「ギヤー!」

 むさ吉は大きー大きー叫び声をあげてツルツルすべりながらあわてて立ちあがったんじゃ。
背のびをすると自分の家がみえておばーが、木を運んどるのが見えたんじゃ。
かえるのことも忘れとった。必死だったんじゃ。

「おばーおばー。おーいおばー。」
どろんこの手を大きく左右に振ったんじゃ。
 気がついたおば−はあわてて田んぼにかけつけた。
「むさ吉どうしたんじゃ。おらがあれほどいったにー。」
おばーはむさ吉の手をぐいぐいひっばったんじゃ。
だけどちっとも穴から抜けられんくてこまっとったんじゃ。
そこでおばーは曲がった腰でおかーをつれてきたんじゃ。ところが、

「たいしたことねーだに。ほっときゃー自分でのぼれるわ…。」
と言っておかーはそのまま家へ行ってしまったんじゃ。
それでもおばーは心配して村人を大急ぎで呼んだんじゃ。
だけど村人達とどんな手を使ってもむさ吉はズボズポとどろの中にはまってしまうばかりじゃった。

「こりゃ」今までのしきたりをそむいた罪に違いねー。
村人達の中にこんな声が聞こえはじめたんじゃ。
村人達は神しかねえとお宮まで願をかけに行ったんじゃった。
さっきあんな口を聞いたむさ吉のおかーも自分の子はやっばり心配じゃった。
村人にまじって涙をうかばせて唱えとったんじゃ。

 …村人達の声が伝わったのかどこからか声が聞こえてきたのじゃ。
「だれか、身がわりをよこしなさい。むさ吉は助かることでしょう。」
やさしい声は村人の耳に響きわたったんじゃ。
村人達は目を大きくあけ、顔を見回したんじゃった。
だけど、だーれも名のるものがおらんかったんじゃ。
ところがしばらくするとむさ吉のおかあが言ったのじゃ。

「おらが行く。おらーいくら評判の悪い親でもむさ吉はおらの子だ。
おらのかわいい子だ。」

村人たちはまた顔を見回したんじゃ。
村人とむさ吉のおか−は列を作り明神様の田んぼへと向かった。
穴ではむさ吉がこわさとさみしさと悲しさとでしくしくと泣いておった。

「おいむさ吉、どけよ。おかあーも入るでなー。」
そういうと静かに穴の中に入ったんじゃ。
するとどうしたことかさっきいた大きなかえるがまた一まわり大きくなったんじゃ。
村人の中にゃ一口を開けたまんま、何にもしゃべれんもんもおったほどじゃった。

「私の背にお乗り下さい。」
村人達のかたはぴくりと動いたのじゃ。
「神様の遣いに違いねー。ほら早く乗れー。」
むさ吉親子はかたを抱きながらおそるおそるまたがったんじゃ。
二人は田んぼの土に足をしっかりとつけたんじゃ。

するとどうしたことじゃ。
さっきまでのあの大きなかえるの姿はどこを見回してもおらんかったのじゃ。

むさ吉親子は明神様のおかげじゃ。かえるのおかげじゃ。
と言って石でかえるの像を造り家のそばに祭ったんじゃ。

それからもう一つ、この出来事があった明神様の田んぼの穴には一本のまるたを打ちこみ、
長く記念としたんじゃと。


 岩の話