一 杯 水

「コラッ何やっとるだ。」

と大きな声が聞こえてきました。

「ワーびっくりした。僕オシッコしてたんだよ。」

と、小さな男の子の声が、恥ずかしそうに答えました。

「ううん?坊主は一杯水を知らんのか?」

今度は、優しいおじいさんの声です。

「エッ?一杯水?なにそれ。おいさん、その一杯水とかで、オシッコしたらあかんの?

どうしてあかんの?」

不思議そうに、男の子がおじいさんに聞きかえしました。

 「ホウ、知らんか。そいじゃあ話してやるか。一杯水ちゃあ、お姫さまの水だに。」

 

 昔々な、ある、たいそう平和な国にな、それはそれは美しい、お姫さまがおったんじゃ。

 ある春の日に、お姫さまは、腰元の秋といっしょに花見に出かけたんじゃ。

その日の午後のことじゃったんだ。

『姫さま、姫さま、城が、となりの国にせめこまれ、お殿さまは、自害なされました。

姫さまは、これから、この手紙をもって、江戸の奥方さまのところまで、逃げてくだされ。』

と、城から一人の家来が来て、お姫さまに手紙をわたしていったんだよ。

お姫さまは、『これを、母上にわたすのですね。父上に会いたいけれど……。では行ってきます。

父上に、私は秋といっしょに江戸へまいります。天国で見守っていて下さい、と言っておいておくれ。

では秋、行きますよ。』

と家来にいうと、後も見ずに、走っていってしまったんじゃ。

 江戸への道は長いんじゃ。お姫さまと、腰元の秋は、死ぬ気で走ったんじゃ。

 じゃがのう。お城でも走ることのなかったお姫さまだに、何日も何日も走りどおしで、とうとうな、

病気にかかってしまったんだよ。

 高い熱が出て、水をほしがったんだよ。

そんだけども、近くに、うちも、川も、なかったもんで、やっとのことで、ここまで、きたんじゃよ……。


 おじいさんは、たばこをふかしはじめました。

 「そいで、おいさん。そのお姫さまはどうなったの?死んじゃったの?」

と男の子は、体をのりだして、おじいさんに聞きました。

 「う−ん、そうなんじゃよ。」

 お姫さまは、ほれ、そこの木の下に横になってな、水をほしがったんじゃ。

腰元の秋は、しものうちへ行って

 『すいませんが、水を一杯くださいませんか。』

といったんじゃ。だがそこの家のおじさんのじんべえは、すごくケチだったもんで、

 『金を出せば、一杯ぐらいはさしあげましょう。』

と、秋にゆったんじゃ。

秋は、
『お金は、ございません。でも私のつれは、病にたおれ、水をほしがっているのです。

一杯だけ、一杯だけでようございますから、おめぐみくだされ。』

と手をあわして、たのんだんじゃ。

じやが、

『そうはいわれましても、ここは水の便が悪いのでございます。一杯の水でも、ここまでもって

くるのには、大変なんですよ。金なしではちょっと……。』

と秋はことわられてしまったんじゃ。

 花見に出かけ、そのまんま逃げて来たんで金を持っとりようがないんでなあ、秋はしかたなく、

お姫さまのところへ帰ってきてしまったんだわ。

 そして、それから二日間、雨さえもふらなんだ。

だが三日目、ポタッと、ねこんでいた秋の顔に雨らしきものがあたったんな。

秋はびっくりして、起き上がり、

『お姫さま、雨でございます。雨がふっているのでございます。お姫さま?

お姫さま、お姫さまー。』

お姫さまは、固く口を閉じて冷たくなっておられたんだよ。

 冷たい雨が、まさに、お姫さまの涙のようであったんじゃよ。

秋は、静かに

『お姫さま、お姫さま、さぞかしさぞかし、くるしかったでございましょう。私もすぐ、

お姫さまに、ついてまいります。』

とゆってのう、お姫さまの短刀をぬくと、自分の腹に、グサッと刺して、死んでしまったんじゃ。

 じゃがのう。秋の心はのう、まだ天国へは行ききれなんだんじゃ。

 秋の心は、あのケチな、じんべえのところへ飛んで行ってなあ、そこの一人娘のおさきを、

お姫さまとおんなし病気にかからせたんじゃ。

 おさきは、水をほしがったんだ。

だが秋は、そこらじゅうの水を、全部、止めてしまったんじゃ。

 じんべえは、金をたいへんだして、医者に見てもらうようにと、町へつれて行ったんだが、

町についた時は、もう死んでおったんだ。

 じんべえは、

『たたりだ。なんかのたたりにちげーねー。ほれ、そこらの若いもんを集めて、しらべるだ。』

と大声でよばって、しらべはじめたんだ。

すると、すぐに、

『じんべえさ、おめえのうちのうらに、女の人が死んどるでよ。それじゃねえずらか。』

と、となりのうちの、じんごろうがゆってきたんじゃ。

じんべえは、

『それじゃー。こないだ水をくれとゆってきたあの女が、わしをうらんで、おさきをあんな

めにあわしたんだー。早く、早くお堂をたてるだ。』

 じんべえは、金をたいへんだして、りっぱなお堂をたてたんな。

 それがほれ、この上のお堂じゃ。

それから何年たったか、その年は、雨がちーともふらんで、畑がかれてしまったんだわ。

お姫さまと、おんなし病気にかかる者もたいへんおった。

 じんべいのとなりのうちの、じんごろーの娘も、その病気にかかってしまったんじゃ。

 じんごろーは、毎日あのおどうへ行っては、『娘の病気が、一日も早くなおりますように。』

ちゅって、おいのりしておったんじゃ。

 だけども、娘の病気は、なおらなんで、じんごろーんとうに、うつっちまったんだ。

 じんごろーも高い熱が出て、

『あー、水、水がほしい、みずをくれ。』

と、いつもいつも、ゆっとったんな。

 ある日。じんごろーは、おもい体をひきずるように、お堂へ、おまいりしたんじゃ。

そのかえりになあ。

小さな木の切りかぶに、つまずいて、スッテン、とこけてしまったんじゃ。

『あー、もう立てねえ、おらあ、こんな場で死にたくねえによお。』

と、小声でゆうと、ねこんでしまったんだ。

『ん?、しゃっこいなあ。』

 それから何時間したのか、じんごろーは、足がしゃっこいのにびっくりして、

起き上がったんじゃ。

『あれえ、水でないかやあ……。おお水だ。水が出たんだ。神さま。

どうもありがとうございました。』

 じんごろーは、その水をすくって、娘んとこや、村の衆のとこへ持っていったんじゃ。

不思議なことに、その水を、一杯飲むと、みんな、ウソのように元気になっちまったんだよ。

だが、まだ不思議なことはあるんじゃ。

それは、いくら、雨ふりが続いても、いくら、日でりが続いても、ぜんぜん、水の量が変わ

らん、ちゅうことなんだよ。

だが、ここで、きたねえことをすると、ピタッと水が止まってしまうんじゃ……。

「ねえ、おいさん、どうして水が止まっちゃうの?」

男の子は、むずかしい顔をして、おじいさんにききました。

「ん?さあて、わしにもわからんじゃが、きっと、お姫さまは、きれい好きであったんじゃよ。

だから、ここできたねえことをすると、水が止まっちまうんじゃねえずらか。」

 と、おじいさんは、首をかしげながら答えました。

「ふうん、そうか、わかった。ここで。オシッコしたら、水が止まってしまうから、オシッコ

したらあかんのだ。」

 男の子は、やっとわかった、というような、顔をして、ニッコリと笑って、家に帰って行きました。

 お池のたたり−お池伝説