愛宕神社の宝物(あたごじんじゃのたからもの)

 どこへいっても、宝さがしの話はあるが、たいがい宝のあったためしがない。

 この話も、あてになることじゃあないと思ってきいてくんな。

 たとえば、木沢の八幡社には、遠山のお殿さまとその子どもの加兵衛景重の

両大神がまつられとるが、この二人がもっておった宝物が、八本目の柱の下に

うめられとるっていうが、どれが一本目だか、だあれもわからん。

 この愛宕神社の宝物っちゅう話も、それをねらっておるということだ。

 ある時、このちかくで道普請があり、人夫がこの宝物のことをどっかできい

てきて、もう一人にはなしたと。

「この愛宕さまの下に、よろいかぶとやら、剣やら黄金など、どえらい宝物が

うまっておるっちゅうぞ」

「そんな話、だれでもしっておって、とっくに掘りだされちまっとるにきまっ

とるわ」

「うんにゃ。そんならすぐうわさになるさ」

「そんじゃあ、こんや、村のしゅうが寝しずまったころ、掘ってみっか」

「よし、やってみっか」

 そうだんがきまって、さっそくその夜、二人はつるはしをもってきて、

愛宕さまのまわりから掘りはじめたと。

 この愛宕神社っちゅうのは、木沢八幡社の横手の畑の片すみに、石を小高く

つみかさねて、その上に小さなほこらがおいてあるだけのものだ。

「おいおい、なにかでてくるか」

「いんや、なあんも」

「あっちも掘ってみっか」

 なんちゅって、掘りかえしとるうちに、ほこらがひっくりかえりそうになっちまった。

「これ以上掘って罰があたっちゃたまらん」

「なんにもなかったように、土をもどして、草も植えておくか」

 
次の朝、また道普請のしゅうが集まってきて、

「なんじゃこりや。だれか愛宕さまんとこ、掘りかえしたやつがおる」

 なるほど、かくしたつもりの草はしおれて、きれいにしたはずの土も新しくて、

掘ったあとがみえみえだった。

 そこへ村の古老が通りかかって、

「あれまあ、ばかなやつもおるもんだ。愛宕さまのほこらにかくされとるっちゆう

宝物を、掘らっとしたんずらが、愛宕さまはなあ、もともとこの場所にゃあなかっ

たんだで、いくら掘っても、宝物はぜったいでてこんわ」

と、大笑いしたって。

 それでも、二人はゆうべのことがばれちゃあまずいで、愛宕さまのもとの場所を

きくこともできなんだって。

 どうだな。なさそうでありそうで、ありそうでなさそうな話ずら。

 
離山庚申さま