離山庚申さま(はなれやまこうしん)

  横道(下本町)の石段を、すこし登ったとこに高平山(こうへいざん)薬師堂が

あって、
そのよこに離山庚申をまつったほこらがあるのを知っとるかな。

  霊験あらたかで、いまも願(がん)かけをする人が多いとか。

その話をするかなあ。

 ときは明治のなかごろ、山師たちは山の飯場(注)へとまりこんで木を切り

出す仕事をしとった。

遠山の地元のものばっかじゃあなくて、東北や新潟から
でかせぎにきておる

ものもおおぜいおって、気もあらく、他人のことなんか
いちいちかまっちゃ

おれん雰囲気だった。


 その日も、仕事のとちゅうで一人のおとこが、腹痛をおこしたっちゅって、

飯場へ帰っていっちまったけれど、一人へったことで仕事はよけえきつくな

るし、そのおとこのことなんかかまっておれんもんで、みんなそのまんま一


日仕事をして、夕方おそく飯場へ帰ったんな。

「おー、おれの服がねえーぞ」

「ややっ、おれの金がなくなっとる」

 飯場は大さわぎになった。

「さては、あの腹痛おとこのしわざだな」

 みんな、手に手に松明(たいまつ)をもって、四方にちっておとこのゆくえをさ

がした
けれど、おとこがおらんようになって、まる一日たっておる。

きっと遠くま
でにげちまったらしく、まるっきり手がかりがねえ。

 そんな中で、和田から働きにきとったおじいが、さがしさがし村の中心ま

きて、ふっと庚申さまのことをおもいだした。

「そうだ、庚申さまにお願いするがいい」

 おじいは、離山庚申さまのところへいそいで、

「庚申さま、庚申さま。みんなの服やお金をぬすんだぬすっとを、どうかつまえ

ておくれんかな」

と、頼んだと。

 いっぽう、おとこはその時分、青崩峠あおくずれとうげ)をこえて水窪(みさくぼ)まで

きておって、まだ
その先へどんどんにげておった。

 そのとき、急になにか重いものが背中にはりついた感じがした。

重くて
重くて、歩くにもやっとになった。

「な、なんだ、なんだ」

背中のぬすんできたものをおろして、あれこれ見ても、なんの変わったこともねえ。

また背負って歩かっとすると、ズシンと重くなる。

 そんなことをくりかえしておると、なにか背中でブツブツいう声がした。

うしろをふり返っても、だあれもおらん。

おとこはだんだんきみがわるくな
って、はってでもにげっとしたそのとき、

「にもつを返してやれ」

 こんどは、はっきり声がした。

これには、さすがのおとこもびっくり
ぎょうてん、

「わるうございました。にもつを返しにまいります」

 大きい声で背中にむかってさけぶと、おどろいたことに急に背中がスッとかるく

なった。

おとこは、ますますおそれいって、きた道をあわててとって
かえしたって。

 飯場へ帰ると、なかまの前で深々と頭をさげてあやまり、道中のふしぎな出来事

をみんなにはなしたんな。

 それをきいたおじいは、庚申さまがきっと
おとこににもつを返すようにさせたん

だとおもい、さっそく米だんごとお旗
をあげてお礼をしたんだと。

 それからも、物がなくなったり、忘れ物がでてこんようなときは、離山庚申に願

をかけると、必ずごりやくがあったそうな。

 みんなも、願をかけてみるかな。

そんなときは次のようにいうといいって。

 オコウシン、オコウシン、マイタリマイタリ、ソワカ。

これを十五回とな
え、オコウシン、といっておじぎを二回。

最後に、

 マンダリ、マンダリ、ソワカ。と十五回となえるんだって。

 気持ちをひきしめてやらんとだめだに。

 そうそう、それからお礼もかならず忘れんようにな。



 (注)飯場…作業現場が人家から遠いとき、その現場近くで寝泊りできるように建てた小屋

 
小嵐さまのたたり