小嵐(こあらし)さまのたたり


 木沢から千代峠にむかって、一時間ばかりのぼったところの山の上に、

小嵐さまという、霊験あらたかな神さまがまつられておる。

 これは、寛政元年(一七八九)に木沢の庄屋、大家孫次郎という人が京

都にのぼって、かねて願いの伏見稲荷大社におまいりし、そのおすがたに

感動して、熱心にお願いをして分霊を許されまつったものだ。

このうわさはあっというまに遠山はもちろん、近隣の村々をはじめ、遠く

青崩峠(あおくづれとうげ)を越えた静岡の方にまでつたわって、さんぱいに

おとずれる人が年ごとにふえていったという社だ。

 ある年の春、飯田周辺に住んどる男五人が、この小嵐さまに願かけにでかけた。

一人目の呉服問屋の主人は商売繁盛に、二人目のだんご屋の主人は娘の病気が

なおるように、三人目の男ははじめての子の安産祈願に、四人目の百姓の男は

五穀豊穣を祈りに、最後の五人目の男ははじめてでおともということだった。

 五人はけわしい千代峠をこえ、あたりの山の景色をながめながら、ようやく

夕方になって小嵐神社についた。


さいせん箱に小銭をいれ、わにぐちをがらがらと鳴らして一人ずつ願をかけた。

 ところが、五人目の男は、

「本当に神さまっておるんかい。おるんならでてきてほしいもんだ」

といって、なんともってきたつえで、ご神体の前にたれとるおみす()をひょ

ともちあげた。

 ほかの四人はびっくりして、

「なんてことをするんだ」

「やめろ」

「罰があたるぞ」

とあわててとめた。

「なんの、こんなことで罰なんかあたるはずはねえ。それより神さまにでて

きてほしいもんだ」

五人目の男は逆にくってかかったって。

 そうこうするうち、日がしずみ夜になった。

山の上はまだ冬のように寒い。

五人の男たちは、社殿の横の板の間にあがり、いろりで拾い集めた枝をもやし、

もってきたにぎりめしをほおばって暖をとった。

 みんな、さっき神さまに罰のあたるようなことをしたのが気になって、会話

もはずまなんだ。

 そのあと男たちは、さんぱいの人たちのために、村のしゅうが用意してくれ

てあるお旗のふとんにくるまって、夜のおこもりにはいった。

 夜もふけると、いっそうしんしんと冷えこんでくる。

 
とつぜん、

「ガタン、ドスン」

 ものすごい音がして、社殿が大ゆれをした。

一同は、命がちぢむぐらいびっくりして、外へとびだした。

 外はなんの変化もなく、遠くでフクロウが「ホウホウ」と鳴くばかり。

しばらく外におったが、とても寒くておれるようなもんじゃない。

神社もなにごともなくしずまっておるので、また社殿にはいった。

 いろりの火をさかんにして暖をとり、またふとんにくるまって寝とった。

なかなか寝つけんでおると、なにかえたいのしれんものが五人におそいか

かったような気がした。

目をこらして見ても、いろりの火がぼうっとなっておる部屋の中は、なに

もおらん。

男たちはからだがブルブルふるえてきた。

「今のはなんだったんだ」

「なにかおったような気がしたが、おめえもか」

 ふるえながらいいあっておると、いろりの火がさあーっと風に吹かれたよ

うにゆらいだ。


 それからというもの、なにか黒い影が社殿の中をいったりきたりして、と

きどき五人をさあーっとおそう。

みんな、ガタガタ、ブルブルふるえるばかりで、金縛りにあったように身動

きひとつできん。

こんなことがひとばんじゅうつづいて、ようよう夜が白みはじめるころには、

みんなぐったりしちまった。

 夜があけりゃあ、みんな早く家に帰ることしか頭にない。

そうそうににもつをまとめ、帰り道をいそいだ。

 きた道をひき返すだけなのに、いけどもいけども千代峠につかん。

なんだかおんなじとこを、ぐるぐるまわっておるような気がする。

五人とも、つかれきってとほうにくれておると、いいあんばいに炭焼きのおじ

いがとおりかかった。

五人が飯田に帰りたいんだが、道がわからんようになったとはなすと、

「なんだって、おまえさんたちいったいどこを歩いておるんだ。ここは千代峠

から三里もはなれた山の中だに」

 炭焼きのおじいは、あきれ顔で五人をながめて、帰り道を教えてくれた。

「それにしても、どうしたんだ」

と五人からいきさつをきくと、きゅうにおじいはにんそうが変わって、

「それは小嵐さまがおこったんだ。罰があたったのにちがいない。ああおそろ

しや、おそろしや。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

まるで五人にかかわると、自分にもたたりがあるとでもいうように、念仏をと

なえながら、そそくさと山道をおりていっちまった。

 五人の男は、まっ青な顔になって、これはたいへんなことをしてしまったと、

こうかいしたがあとのまつり。

やっとのおもいで千代峠にでたときには、顔はすりきずだらけ、足のわらじも

なく、腰につけておいた食べものもどっかになくして、命からがら飯田の家に

たどりついた。

 家の人たちはもうびっくりして、いったいなにがあったのかとききだそうと

したけれど、だれもはなそうとしなかったそうな。

とくに、おみすをあげてしまった男は、食事ものどをとおらずすっかりやつれ

てしまい、家のものはおろおろするばかりだった。

 まるで、もののけにとりつかれたような顔になっておるもんで、そうだんの

すえ、やっとのことで祈とう師のところへつれていった。


祈とう師はひと目みて、

「これは小嵐さまのたたりかもしれん。気のどくだが、たたみのうえでは死ねんぞ」

といった。おどろいた家のものは、さっそくおはらいをしてもらったということだ。

 こんなことがあって、小嵐さまはますます霊験あらたかというひょうばんになっ

て、今でもおおぜいの人が、願かけにおとずれているそうな。


(注) おみす…すだれ

 
池口の竜神さま