狐 の 家 族

 まだ、和田のまちがあんまりにぎやかでなかったころのことだ。

今の役場のあたりも家が四、五軒しかなく、老人福祉センターから、

小池の集落にいく細い道の両側は、桑畑がつづいておって、小池沢

の沢すじには水車小屋もあった。


 ある年の春、その近くの岩穴に狐の家族がすみついた。


そこで、村人はその岩穴を狐の穴って呼ぶようになった。
                 
 のどかな村だったもんで、狐の家族ものびのびと暮らしとった。

                                          
天気のいい日には、岩の上に小さい猫ほどの子狐がひなたぼっこをしとったり、
               

水車小屋のあたりまできて、桑畑の中を走りまわっておるのを見かけたもんだ。
 
  それでも、だれひとり狐にわるさをするものもおらなんだし、子どもたち

かわいい子狐を見たくて、水車小屋のあたりで遊んだり、たまには餌をや
った

りしとった。

 ところが、秋も過ぎ、冬がくると山の餌が減ってきて、狐が村人の飼って

る鶏をとるようになった。

そのころは、どこの家でも鶏を五、六羽は飼っておって、毎朝、

「コケコッコー」

ってときを告げて、村人の一日がはじまったし、卵はすごく貴重なもので、親戚

や近所に病人があると、みんな卵をお見舞いにもっていったもんだった。

 そんなたいせつな鶏を狐にとられては、村人もほってはおけんということで、

そうだんしたあげく、トラバサミをしかけることになった。

狐を好きだ
った子どもたちは、かなしんだけれど、鶏の方がもっとたいせつだ

ってわか
っておったもんで、どうすることもできなんだって。

もうちょっとで春になるころ、ついにトラバサミに大きい狐がかかった。

雄だったで、父さん狐にちがいなかった。

「お父さん狐がおらんようになったら、狐の家族はどうしておるかなあ」

 子どもたちは心配になって、狐の穴の近くにいくどもようすを見にいった。

どんどん暖かくなっていくのに、ひなたぼっこをしておったり、走りまわっ

たりする子狐の、すがたはいちども見れなんだ。

 そのうちに子どもたちも、だんだん狐の穴の方へいくことがなくなってきた。

 秋がきて、狐の穴のちかくのクルミの木のもちぬしが、クルミとりをした。

そのあと、とりのこしたクルミをむちゅうになって拾っていた子どもたちが、

横になっている大きな狐を見つけた。 
                   
おどろいた子どもたちは、ぱっとはなれて、しばらくようすを見ておったけれ
ど、

声をだしてさわいでも、石をほおっても、狐はぴくりとも動かん。

おそるおそる寄っていってのぞきこむと、狐は死んでおった。

お母さん狐のようだった。

「わるさがすぎるで、だれか毒をもったんずら」

大人たちは、そんなうわさをしておった。

 それでも子どもたちは、

「お父さん狐がおらんようになったで、お母さん狐はさびしくなって死んだん
だ」

っていいあった。

 もう子狐のすがたも見んようになったが、子どもたちは、

「きっと子狐は、もっと山奥で、元気に暮らしておるにちがいない」

って思っとった。

 今でも山奥のどっかで、この狐の子孫たちが、ひなたぼっこをしておるかなあ。

 大入道に化けた狐