遠山さまの姫君


 遠山地方をおさめておった殿さまは、なにしろ評判がよくなかった。

年貢をはかる枡(ます)をわざと大きくして、余分にとりあげるなんぞあさめし前、

あれやこれやで百姓をいびりつづけ、とうとう百姓一揆が起きちまった。

 なんせ、長年のうらみのすえの一揆だったもんで、罪のない奥方や姫君まで命を

ねらわれたんだと。

そんな中で、ある村のもんが、和田の城に行って、

「奥方は山の尾根づたいに逃げるといい。わたしはこの子を逃がすで」

そこで、昼まのうちはまだ百姓しゅうが気がたっていてあぶねえっちゅうことで、

お姫さまを墓石の下の穴にかくしておき、日が暮れるころ、穴からだして、そま

つな着物にきがえさせて家につれてきたんだって。

 それからは、あやしまれんように村人の使うことばもおしえ、立ち居ふるまいも

村の子とかわらんようにしつけたんだって。それで、まわりからもあやしまれんよ

うに、すくすくと育っていったと。

 ところが、なにせ元はお姫さまということで、それはうつくしい娘になり、家の

もんたちもだんだん落ちつかんようになってきた。

 それで娘のゆくすえも考えて、十六になったとき、遠山氏の先祖と縁のふかい美

濃の国へと送ったんな。

娘は美濃でいっしょうを終え、その地の神としてまつられておるそうな。


 
これとは別に悲しい話があった。

お姫さまは、けらいに背負われて程野の丸山というとこまで逃げてきたとき、

追っ手がちかづいて、けらいはその姫を背負ったまんま、大きなナラの木に

よじのぼってかくれたんだと。

 静かにしとりゃあ見つからなんだに、なんせお姫さまは幼くて、むじゃき

な年ごろだったもんで、

「お姫さま、じっとしておるんじゃよ」

と、けらいがいうのに、なんと下にきた追っ手に、

「ばあー」

と、いつものかくれんぼのつもりでいっちまったんだって。

「見つけたぞーっ。この木の上だ」

 姫とけらいは百姓たちに引きずりおろされ、その場で殺されちまったという

ことだ。なにしろ、遠山さまの悪政はひどいもんだったんで、一族もけらいた

ちもことごとく殺され、遠山氏はぜんめつしたんだと。

 その後、あまりにもひどいしうちで滅ぼしたということで、その霊のたたり

を恐れた村のしゅうは、それまであった霜月祭りで、この遠山さま一族の霊を

まつるようになったということだ。

 
百体庚申