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カルメル会の起源 |
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カルメル会の発祥の地は、その名が示す如く、パレスチナのハイファの近く、真青な地中海に臨んで立つカルメル山です。山の美しさと預言者エリアの足跡に心惹かれ、十字軍として聖地に来た人の中から、山の洞穴に入って隠遁生活を始めた人々がいました。1100年頃、彼らはその真ん中に聖マリアにささげられた聖堂を建て、ミサのために集まっていました。人々は、そのため、彼らをマリアの兄弟と呼びました。その後、エルサレムの総大司教から会則を受けて修道会となったものの、聖地奪回に来たイスラム教徒に追い出され、ヨーロッパへ渡り、フランシスコ会やドミニコ会と同じ托鉢修道会となりました。
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カルメル山 |
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跣足カルメル会の誕生 |
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女子カルメル会が誕生したのは15世紀中葉ですが、すべて現在あるような形にしたのは、16世紀のスペインのアビラの聖テレジアです。聖女は当時緩和されていた会則を原始会則に戻し、教会的視野と使徒的精神によって、古来の観想的特徴をより豊かなものとしました。アビラの聖テレジアによる改革は、十字架の聖ヨハネの協力を得て、男子カルメル会にも及び、跣足カルメル会と呼ばれるようになりました。その後、跣足カルメル会は、全世界に広がり、聖テレジアの理想が受け継がれてきました。その豊かな実りの一つであるリジューの聖テレーズは、「私は母なる教会の心臓の中で愛となりましょう」と書き残しています。同じ理想を、現代に生きる私たちカルメル会員も生きているのです。
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イエスの聖テレジア
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十字架の聖ヨハネ |

リジューの聖テレーズ
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日本の女子カルメル会 |
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1933年、日本で最初の女子カルメル会修道院が東京に創立され、現在に至るまで九つの修道院が禁域を守る観想生活を送っています。長野泰阜(やすおか)カルメル会は、その九番目で、2001年、西宮カルメル会から、南信州の天竜川を見下ろす泰阜の山里に来させていただき、聖家族に捧げられたこの小さな共同体を創立しました。
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全世界のために、全教会のために |
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聖家族は、ナザレという小さな村で、神の御子イエスを中心に、神との親しい祈りの交わりのうちに、つつましく隠れた生活を送られました。私たちも、沈黙のみなぎるこの美しい山里の小さな修道院で、聖家族のようにつつましく隠れた生活を送り、神の現存を世にもたらす存在でありたいと願っています。そして、全世界、全教会、日本中の人々の様々な苦しみに寄り添い、希望を共に心に抱きながら、祈りと生活のすべてをお捧げしています。
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