『小宮と滝沢』 15 「明日帰るよ」 その一声で、身体が解凍される。 「ただいま」 その一声で、一時的に家族が戻る。 2階の部屋から駆け下りると、スーツケースを運び込んでいた。 「父さんおかえり」 台所から、母さんが顔を出す。 「おかえりなさい。良かった、丁度ご飯出来たとこ」 3人で、食卓につく。まるで当たり前のように、それができる。 「いただきます」 「ビールは飲む?」 「1本もらうよ」 「父さん結局もう1本飲むから、出しといた方がいいと思うよ」 「言われちゃったな〜」 テーブルには、父さんの好物のマグロの刺身、 母さんの得意料理の餃子、 自分が昔大好きで何度もせがんだ唐揚げ。 全部食べれた。 全部食べれるんだ。 「洗い物はしとくから、先にお風呂入っちゃいなさい」 「うん」 風呂を出て部屋に戻り、父さんが持ってきた雑誌を読む。 父さんが勤める広告会社の雑誌。 目新しい賞品や服、旅行プラン、グルメ情報。 読みふけっているとドアがノックされた。 ビクリと条件反射した。 気づかなかった。 雑誌を布団で隠す。 「どーぞ‥」 「寝てたか?」 父さんが顔を覗かせる。 心の中で深い溜め息をつきながら「まだ寝ないよ」と答える。 「母さんは今お風呂だよ」 ドアを閉め、ベットの真ん中に浅く座る。 「明日、5時に昇降口に行くから」 「うん」 「母さんには、言ってないんだろ?」 「うん」 「じゃあ、買い物に行くって言っておくよ」 「うん。ありがとう」 立ち上がり、髪をわしゃわしゃとまわす。 「じゃ、おやすみ」 「おやすみなさい」 パタンと閉まるそこを見つめながら、どうしてもこれが、今の状態が続けられないのかと、 どうしようもなく、思ってしまう。 「じゃあお父さんは普段は東京なんですか」 「そうなんですよ。月に1度帰れればいい方ですね。でもまあ、この子はしっかりしてますし」 「あーそうですね、夏休みも毎日来て花壇の手入れして、関心しましたよ」 「あれ、そうだったのか」 「うん、まあ」 三者面談てか、ただの世間話か‥。 10分くらいすると、先生が「ちょっとお父さんと二人で話したいから」と教室から出された。 察しはつくから大人しく従い、廊下の窓からまだ明るい空を見ていた。 「お母さんとは、折り合いが悪いような事を入学式の時に言われましたが」 「‥そうなんです。いや、二人の間に何があったか、正直私は何も知らないんですよ」 「そうなんですか?」 「私が出張している間に、今のようになってしまったんです。1度原因を母親に訊いてみたんですが、パニックになって‥無理でした」 「今のよう、と言うと」 「二人は全く顔を会わせないんです。 母親は看護師で、夜勤が殆んどなので普段からすれ違いですけど‥。 以前、東京に戻るフリをしたことがあるんです。 そしたら、母親はそわそわと何かを気にし出して、 あの子は、部屋にこもって何時間も物音1つさせなかったんです」 「‥‥虐待の可能性は」 「私が見た限りは‥‥。近所からも何も言われてないですし」 「‥‥体育で水泳の授業をやりましたが、確かに痣などはありませんでしたね」 「でも、私が居ると普通なんです。3人で顔を会わせ食事しますし、会話もあります。だから余計解らないんです」 「本人は何か言っていましたか?」 「‥‥今のままでいいと、前に言っていました」 「‥そうですか‥‥」 教室から出てきた父さんは、わからないくらい小さな溜め息をひとつついた。 「一緒に帰るか?」 「ううん、部活してく」 「そっか」 昇降口まで送り、あとでと別れる。 過去は変えられない。 仕方ない。 だから、これ以上悪化しなければ、それでいい。 でも、と思ってしまうのは、 この気持ちは、どうしたらいいんだろう。 このまま何年続くかわからない人生の、 ずっと、 変わらず持ち続けなければならないのか、 ●← 15 →● TOP |