『小宮と滝沢』










教室に入ると、もう小宮が席に座っていた。


騒がしい教室の中で、本を読むでも何か書くでもなく、
俯いて、手をかたく握りしめていた。

自分の席に鞄を置いて教科書をしまう。
その間、ぴくりとも動かない。



「小宮おはよう」

後ろから近づき顔を覗きこむ。


「‥‥はよ」

少しだけ上げた顔が

「どしたの、顔色よくないじゃんっ」

黒い前髪の影になっているとはいえ、土気色のその姿はあまりに

「滝沢」

「な、なに」

「‥‥やっぱり、バイト できない」

「‥‥そっか‥」


小さく溜め息をつき、手を更に握りしめる。

なにかあったのかな。
訊いていいのかな。


食い込むほど強く握る手を見ながら、でもきっと教室では話さないだろうなと思った。


賑やかすぎる世界では、何もかもが惨めになってしまう瞬間があることを知っている。


自分の足が確かに此処についているという意識が薄れて、
呼吸がうるさくなり、
段々頭の中が小さく小さく麻痺したように、
何も考えなくなる、
何も考えられなくなる、
あの感覚。

逃げ出すのでは解決しない、
その訳の解らない何かを殴って、
起き上がらないのを確認しなければ安心できない。

そうやってしないと、どんどん埋め尽くされて‥‥



ふと、窓から入り込んだ風に頬を叩かれ我にかえる。

違う。
自分が埋まってる場合じゃない。

今‥‥。

今は何か他の‥‥。


「あ」


小宮は声にちらりと反応し、『なに』とでもいうように口を少し開けた。

「小宮、部活の申し込み出した?確か明後日までだよ」

「部活‥‥いや、まだ」
「もう決めた?」
「‥‥まだ」
「園芸部にしようと思ってるんだけど、放課後一緒に行かない?」

「‥‥」
「見に行くだけだよ」
「‥‥覚えてたら」
「ん」

チャイムが鳴って席に戻る。


小宮の手は、少しだけ緩んでいた。



普段きっぱりとした態度を崩さないのに、何をこんなにも怖がってるんだろう。




出会ってから二週間。


踏み出すにはまだ、お互いのことを何も知らなかった。






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