私どもは、飯田の内職上がりであります。内職の立場とは、期日までにたくさんつくる事であります。つまりこれと決まったものは必ずその手本通りぶれず、ずれずにたくさん編む事が全てで、上達し、一定時間内に一定数以上がらなければとても世に広くある時給式で計算してもらえる稼ぎのような稼ぎ方にはならず、ともすれば仕事がこなくなるという立場であります。しかしながら、求められる数をこなし、更に自ら努力研鑚して技術を磨き、どのような注文にも応じられるという事になれば、段々と請け負う仕事も進歩し、また内職の中でも教え育成する立場にもなり・・と変化してゆくわけであるのです。
元禄三年刊人倫訓蒙図彙に描かれた
江戸時代の水引職人の図であります。
この時代の水引職人は、基本的に素材
水引の生産者で、実際に編み上げるの
は、折形の手ほどきを受けた女性であ
ったようです。広く庶民が水引を用い
る時代の前の頃のことでありましょう。
画像は平凡社刊 東洋文庫 人倫訓蒙図彙 朝倉治彦校注 より
そんなこんなで、様々によそではできない事、誰もやったことの無い事という無理難題の一歩手前な注文も、光栄な事に回ってくるわけであります。
そして、水引細工の中のまさにこれというものが、津田左右吉氏以来の「甲冑」そして「雛人形」また、中出京子先生のイメージからの花と言うより「アートフラワー」等な訳でありまして、そう言った難易度の高い注文の中の一つに甲冑関連の大掛かりな(そりゃ無いよーーーーな)注文があるわけです。
古くからの方々ですと、生きてきた中で自然受け継がれたことや、人生での実際の経験からの要素で「気配」や「雰囲気」が出せます。ところが、私共の様に若造な上正統な流れの上に無いものにしてみると、そういった部分が、どうにもできなかった訳でありまして、どうやって期待にこたえられるものを出すかが困難を極めたわけであります。
それで、どれほどに甲冑を理解しその魂を掴むかを様々に探り、もう一つの故郷巣鴨からはほど近い上野の国立美術博物館等に実物を見にもいき、図書館、書店で見つけられる本という本を読み、したわけですが、正直「よろいかぶと」「甲冑」の正統といえるものは「大鎧・式正鎧(しきしょうのよろい)」である。という一つの結論に至り、依頼者のイメージする鎧兜のどうしてもはずせない要素を押さえつつ全体として「大鎧・式正鎧」として破綻の無い造形にすると言う方針で作ると決めております。
何度かの失敗の経験から学んだ「作品に取り掛かる際の心構え」が有ります。それは、依頼者の期待を上の方向に裏切ら無ければいけない。ということであります。人の心にあるイメージというものは常に世に名高い最高傑作から得たイメージであります。甲冑というものを頼む限りは、其れが伊達政宗の三日月の前立てのものであり、足利尊氏のものであり・・・つまり国宝級の甲冑のイメージから言葉を発していることを聞き逃してはいけないという事であります。
言葉の表からは、金ぴかで、角がでかくて、堂々として・・・といった単語ばかりが記憶に残り、それではと、金の水引をやたら使って、くわがたを幅広く作って、しころ(革毎)を幅広にして吹き返しをたて気味にして・・・とやると「なにこれ?」といわれることになるわけです。角と言う限りはくわがたでないかもしれないし、角をつけた兜で金色が効果的に用いられている甲冑は?くわがた以外で大きな角状のものといえば脇立もある・・好きな戦国武将や大河ドラマ、出身地は?そう言った分析から依頼者の心の中の「これぞ鎧」と言うイメージを形成している鎧を割り出し、それらの要素を全て備えた甲冑の兜をデザインしなければいけないわけです。