尊敬する松陰先生を第一の御題とさせて頂いたのでありましたが、周囲から表紙の画像が変化しないことは、イメージ的によくないとの声があり、次の題は「真田六文銭」の予定だが、松陰先生をもっと長く置いておきたいと言う考えを述べた所、水引の紹介として「水引工芸品」「水引小物」も掲載すべし、バランス的には水引家紋六・水引小物二・水引工芸品二くらいで行くべし。との返答があり、それでは五月になることであるし、丁度作った兜があるので、それで行こうという方針に相成りました。


  水引工芸品としての第一のお題 「兜」

 さて、五月五日の端午の節句は今日においては「子供の日」として国民の休日であります。しかしながらそもそもは中国の戦国時代に楚の国において国を憂い様々に尽力しながら陰謀によって地位を追われ、自ら汨羅(川の名前です)に身を投げた「屈原」の霊を慰める行事を端緒に、季節の変わり目の厄払いに戸口に薬草を飾り薬湯、薬酒を行う(冬至のゆず湯、節分の豆・柊など)「節句(尽日の節句一月七日・上巳の節句三月三日ひな祭り・端午の節句五月五日子供の日・七夕の節句七月七日星祭・重陽の節句九月九日)・節分(立春・立夏・立秋・立冬の前日)」等の行事の一つとして、奈良時代頃から行われるようになった行事であるようです。
 季節の変わり目ごとの健康維持のための知恵でもあったこれら行事では季節ごとの薬草が主役を務めたのでありましたが、五月五日頃の季節の薬草は蓬であるとか「菖蒲」であったことから、音が同じである「尚武」とかけられて武家政権の確立した鎌倉時代頃より、鎧や幟が飾られるスタイルと変化していったようです。因みに柏餅といった「葉っぱで包んだ食べ物」を食べるのは、川底の屈原を慰める為にちまきを川に投げ込んだ事とつながりがあるようです。


 さて、五月五日のことを書いたのは今日の日本で鎧兜が主役となる数少ない日であるからです。鎧兜、甲冑、また其の一部を骨董として鑑賞することはある程度は盛んでありますが、一般においてはなんとなくな鑑賞であり、また、そのものをどう見るか、どう理解するかという視点からの鑑賞は、例えばどんな武将が着ていたとか、が主体であります。しかしながら、そもそも甲冑にはどのような歴史があり、そこにどのような思いや考えが込められてきたのかを知る事は私共にとっては大変に重要な事でありました。


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雛祭り-子供の日.com様 明るい雰囲気で親しみやすいサイト様です。人形への愛情と、人形を飾る年中行事にまつわる様々な役に立つコンテンツ満載で、端午の節句についての実用的な知識や云われ等が判り易く掲載されています。

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