家紋画像参照テスト
「画像用ブログヘ」
自分の知る範囲で最も美しく家紋をえがいた人は「上村松園」先生です。
美人画家として名高いのでありますが、描線の冴え、色彩の純度、構図の確かさ、まるで宝石のような結晶美をもつ特別の存在です。
松園先生は絵の中にあらわれる小物や模様についても徹底的な模写を通じての分析を行い、深い解釈をもってその形の面でも内容の面でも完璧に自分の画として描く人でありました。
松園先生の画の中にあらわれる家紋は、家紋の描かれた布地の質感や、匂いまでもが伝わってくるほどであり、家紋の入った着物を着る人の心構えを問うように凛として気高く、しかも細やかで精密、まさに美しく正しいのです。
参照「上村松園画像検索」
石原裕次郎氏の家紋が判明!七本矢車紋とのことであります。知りたい知りたいと思っていたのに調べがついていなかったのですが、ネットのニュースで不意に判明。記念として?強化中の紋章とさせていただきます。七本のみならず、八でも六でも、丸があっても無くても、OKとします。
ですから、必ず備考欄に丸の有無から矢の本数まで明記の上での注文お待ちしております。
金運の色
年に数回、日系のアメリカ人のお客さまのツアーをお迎えするのですが、その都度何かしら普段と違う経験を積んでおります。
シアトルやハワイのお客さまがいらっしゃるのですが、多くの方は日本語が片言でありますが、ご自身のルーツや日本文化への意識が高く、会話には時間がかかるのですが、此方にとっても勉強になることが多くあり、またお客様も大変に喜んでくださいます。
今日のお客さまはハワイからのお客さまでありましたが、やはり(意外に思われるかもしれませんが)家紋をご存知の方が多く、お守りにと根付が人気でありました。
ハワイのお客さまの中には移住の際にご先祖さまがもっていかれた家紋の写しや、家紋帳の切抜きを大切にもっていらっしゃる方も多く、大正時代の紋帳の一ページや、昭和前期の紋付の切りぬきなどを見せていただいた事もあります。
さて、題名の「金運の色」でありますが、今回のお客さまに人気であった細工が「緑色のかえる」でした。自分達の水引細工のかえるは確かに自信作でありまたぱっと見のかわいらしさで人気を誇ると自負しておったのですが、なぜか色が緑色指定!ガイドの方が仰るに「ドルはグリーンなので、グリーンが金運の色なんだよ」とのこと!!!でありました。
カマキリ
春が来て梅が咲き誇っております。先の冬はあまりに冬の実感を感じさせぬ冬でしたが、カマキリが卵を産みつけた草の茎の高さは12cmしかなかったので、もしや雪が積もらぬか?と思ったのが秋の末・・・カマキリの予言どおりにほとんど雪が降らない冬でした。



作家として名高く、さらに描き手の視点からの家紋の分析と考察さらに家紋の発展を願い家紋の新たな可能性を「描き」ながら「書く」ことで実践されていた、丹羽基二先生と共に本音で尊敬出来る先達であった泡坂妻夫先生が・・・・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090204-00000016-maip-soci
自分も、絵師も、泡坂先生の名著「家紋の話」は、家紋に関連する書籍の中では最高と考えておりました。
なぜなら職人であり芸術家で有ると言う二つの視点立場から、またプロの文章書きでありプロの紋章描きである二つの面から、職人の心をプロの描き手として語り、プロの紋章描きのシビアとリアルを芸術家として解釈すると言う奇跡的な著作を達成していたからです。
作り手は語るのが下手であり、語り手はモノを作る手は持っていないのが常であり、芸術家はシビアが苦手で、職人は創造性を不確実性と同意義ととらえる面があるのですが、泡坂先生においては一つの人格の中で対話し、ささえあっていたのだと思うのです・・・・
水引細工の本質である「結び」という構造の本質を敢えて動画にて公開します。これまで、水引に関わる者誰もが「結びむすび」といってはおりましたが、その割には誰もその構造の本質と水引細工の本質を関連付けて定義・解釈してこなかったのであります。
編みの実例
三つ編みです。
編みの実例
四つ編みです。
編みの技を主体とするのは水引よりも「組みひも」や「ヘンプ(麻紐細工)」等の細工である物と考えております。素材のやわらかさを生かした構造美をなすものと考えております。水引細工に置いては編みは細工の一要素としての技であると考えております。
織りの実例
この細工の「羽」の部分が織りです。
織りは、ざるや籠の構造です。この技は本来竹細工やアケビ蔓細工等の技術であったと思います。竹細工・蔓細工においては細工の本質を為す構造でありましょうし、独特の構造美を持ち、強度のある素材を生かした実用性も備えた美を構成するものであります。
水引細工に置いてこの技は芯や骨組みさえあればどんな形でもとりあえず格好がついてしまう技で、創造性の無い細工を生み出す側面があり、細工の空疎化・陳腐化を招く恐れがあるので、当流では細工の主体にこの技を用いる事はしておりません。
水引細工にこの技が入ってきたのは、いつぞや石鹸フラワーなるリボン細工物が流行り、それを水引でやって欲しいといわれてやった後、石鹸フラワーが廃れた後にこれを売りたいと言って「木地車」を渡された頃と記憶しております。水引細工の歩みの中にある悪い所は他の素材で作られた流行り物を水引で作ってしまうことかもしれません。技術交流と言えば聞こえはいいですが、様は商売のために安易にマネをしていることも多いと思っております。
少し表現がきついかもしれませんが、本質の無い、志の無い細工が多すぎると考える水心は、敢えてこれまでは当流の中での口伝・秘伝であったことに触れることを公開してでも水引細工全体の質の向上に尽力する覚悟であります。 また今後この定義・解釈と似たことを他流にて目にし・耳にしたなら、そもそもの元祖は水心にあるということをお忘れなきよう、またこれらの定義・解釈の元祖が水心であるということの証人と成っていただきますようお願いいたします。
カマキリ
先日、大カマキリの雌を心から愛してやまない御孫さんのためにと水引で作るカマキリの細工を作って欲しいという注文をお受けしました。自分もカマキリにはかなりな愛着があり、また昆虫全般に深い愛情を持っている事から、話を聞いてすぐにお受けしたものであります。
昆虫の造形美はなんとも表現しがたい完成度と、人間の尺度を越えた様式美を持つものとおもいます。なにしろ昆虫は実際に生きていて動き回り、空を飛ぶ事も可能なら「繁殖」するのです!!!!当たり前の事といえば当たり前のことですが、携帯電話のような超高度な工学作品がおもちゃ代わりに普及する二十一世紀にあって、実際に生きている生命の神聖さはかえって際立ってくるものと思います。
参照「水心の水引による虫作品展示」
裃

時折、家紋の画像の参照データとして裃の御写真が送られて来ることがあります。畏れ多く、また光栄の至りであります。裃も時代劇の中でしか見ないものとなっておりますが、裃、そして裃に描かれた家紋はまたご先祖様の由緒を物語る貴重な存在であります。
はとバスにて飯田に来るツアー参照
魂の乗り物
丁度お盆の提灯がそこかしこで見うけられる今日この頃であります。ご先祖様の魂をお迎えするにあたって玄関先に家紋を灯すのは、ご先祖様の魂が家紋を目印に子孫を探すからと考えられております。
魂の乗り物として古来より神聖視されてきたのは、例えば「千鳥」彼岸の頃にやってくる渡り鳥であります。古人は千鳥の背に乗ってご先祖様の魂がやってくるのだから、千鳥には網をかけてはいけない・千鳥には矢を放ってはいけないといったそうです。
また、蝶も魂の乗り物として神聖視された生き物です。夢とも結び付けられることの多い蝶ですが、恋しい人、大切な人のことを見守る魂が、時々蝶に乗って訪れると考えられてきました。 家紋のモチーフは全て神聖な存在であり、基本は植物であります。しかしながら、神様の乗り物、神様の使い、そして魂の乗り物と考えられた蝶・千鳥・鶴・鷹等は例外的に家紋のモチーフとなっております。
自分も何時かご先祖様となったときに、孫やひ孫の所へ千鳥や蝶に乗って行くのかもしれません。其のとき彼らの家と心には目印の家紋がきっとあることでしょう。 お盆であります。こしかたゆくすえをおもい、感謝と報恩の祈りをささげる神聖な時であります。

水心髷を結う!!!!


参照「http://local55.jp/local-news.jp/pwm/newsdetail-1001_4402.html」
興奮と感激で客観的にレポートできないのでありますが、幸いにも地元の新聞社様が記事にして下さったのであります。自分はその役目を負ったに過ぎずあくまでも元結・水引が褒められたので有ると言うことを肝に銘じてこれからも頑張るのであります。松文様本当にありがとう御座いました。

鳳凰です。
結び 編み 織り
結ぶことに気持ちを込めることが、水引の基点であり縁起でありますが、結ぶということは、いったいどんな行為でしょうか?意外と知られていないことでありまして、水引細工の世界でも、ホビーアート系の物を見ると、編み棒で編んだ細工・ざる状に編まれた・織られた細工なども多く見受けます。
結びの構造とは、基本としては弾性を有した棒状の素材を、それ自体、もしくはそれと同様の素材同志を、互いの弾性によって生じる弾力の向きが空間図形的にねじれの間柄となるように向き合わせて構成された立体ということになるでしょう。最小単位の結びに置いて見ていただくと判るかと思われますが、水引同士が必ずねじれの位置関係をなし、しかも全体の中心から見た時に対称性のある位置関係をなしております。
結びはねじれの一種でありますが、対称なねじれであるために、弾性を有する素材である場合はその弾性によって生じる弾力によって弾力同士が支えあうために平面的な形であれ、立体的な形であれ固定された状態が維持されるものであるのです。
水引の結びが立体的な造形を可能としているのは、紙縒りにした和紙に水糊をかけて固めた水引独特の弾力によるものであります。紐による結びの細工は、紐の有する非弾力性と伸縮性のために結びの複雑化を可能としておりますが、芯を入れなければ立体的な造形をなしません。同じ結びの細工であってもそれぞれに持ち味と性質の違いが有ります。
水引は神聖な行事に用いるものですから、日本人が神様の前であるべきであると考えた心構え、「素直さと潔さ、簡潔さ」を本質に始まるので、必ず一回の動作で形を決めなければ形が崩れてしまうと言う気難しい性質を有します。それゆえ細工の際には手順を間違えることが許されず、舞踊に似てストーリー性のある流れを身に着けなければなりません。そして製作時は一定のリズムを内側で刻みつつ、細工が始まったが最後必ずその一区切りが終わるまでその流れを着ることなく終えなければならないものです。
編みとは、最小単位の編みといわれる三つ編みを例に説明しますと、必ず両端を固定するものでありまして、まずその開始の際に別々の棒状の素材を束ねて端を固定し、その固定したところを視点としてそれぞれの棒の数と同じ周期でそれぞれの棒を交互に重ねることで構成される構造であるのです。基本として交互でありますので、四つ、五つと数が増えていくものでありますし、またその交互という性質を利用して敢えて一定の周期で重ねに「飛び」を混ぜることで綾を付け模様を作ったり、構造を立体化することもできるものです。ただし、必ず両端を固定しなければ自然とばらける物でもあります。
織りとは、布を形成している構造でありますが、基本的には「ざる」の構造で有ると説明できます。つまり中心点を基点に基本として(六方などもある)四方に広がり続ける事の可能な交互の重なりを連続した構造です。基本として平面でありますが、弾力性を有する竹・蔓等を用いて、ひろがり方向に対して平行に位置する棒状素材の半径を操ることで、文字通りのざる・籠構造をなして立体を構築することも可能であります。織りは、周囲をかがって固定しないと自然にほどけて行く構造であります。この技術を用いればとりあえず何でも形にできてしまうことから、この技に頼ることで作成が陳腐化する・安易化することを危惧し、私どもはこの技を敢えて禁じ手扱いとし、細工の主体にこのざる・籠形成の技を用いないと決めております。
以上のから、それ自体が構成された時点で、他の支えを必要とせずとも、変形を生じることが無いことが水引結びの性質であることが理解できると思います。
日本人が、心と心の結びつきを表わす素材として考案し、長い歴史をもって洗練し完成させてきた水引と、水引結びの本質は、「結びの本質」に根ざしたものであることは、細工師として最も大切に考えておるものであります。結びは、結ばれた後は決して離れることは無く、また引っ張られても却ってより強く結ばれるものでありますが、編みなら解けますし、そもそもそれ自体での完成をなさない構造で有ります。また織りもそれ自体での完成をなさない構造であります。
結びで心と心の結びつきを表現することには沢山の意味や内容があるとかんがえておりますが、構造体としての本質にもその意味や内容があることは敢えて強調させていただきたいと物であります。なぜならこのことを知らずに水引細工をしている姿を多々お見受けするからであります。
自分も貼り合わせの水引細工を大いに得意としておりますので、「邪道」ではといわれることがあります。しかしながら胸を張っていえることは、「本道を貫くものゆえに可能な真行草がある」ということであります。連歌も俳句もそういった経緯からでてそれ自体が一つの本流を形成したものでありますが、その流れの基点には必ず本流を理解した上で新たな様式美への価値観を見出して「くずし」た威人があるものであります。
工芸素材としての水引の開放を可能にするのは、水引の本質との対話から見出した確かな根拠のある可能性だけなのだと考えておりますので、自分ゆえに可能な、敢えて行う新式の様式美を実行しておるのであります。尊敬する小堀遠州先生は、「格より入りて格より出る」と仰っております。
自分は自分以降に真に受け継がれていくレベルの作品を残していくことを心がけております。ですから安易な技を廃し、水引の本質と結びの構造の本質に根ざした細工を作るために、構想から三年〜10年かかって商品化というペースで作品を作っています。普遍性のある細工だけに真似しやすいと言う一面もありますが、創り出したオリジナリティまでは写せないものでありましょう。
家紋との本質的な対話に付いては別のコンテンツがありますので、そちらも参照頂けるようお願いいたします。
叶結び
先代と私のデザインした作品である「叶結びストラップ」平安時代から続くと言われる縁起の良い結びを用いたストラップです。叶結びとは、表の結び目が四角く交差し、裏の結び目が十の字に交差する結びです。
これまで沢山のオリジナル作品をデザインして来たのですが、どうしても安易な類似物をすぐに作られてきたので、この作品を世に出すにあたっては売り場に出す前にあらかじめ行政書士の先生にお願いして「著作権の存在事実証明書」という書類を作成してもらって、著作物の作者と公表日付を保証した上で販売を開始しました。2004年の十一月のことでした。この際の最も重要であったことは、「結びの由来の説明付きで販売する形式」ということでありました。結ぶと言う行いに気持ちを込める、意味を込めるということこそが水引の本質の一つであるのに、それを伝える形の作品は実はそれまで無かったのです。
水引細工のブーケを初めて作ったのはもう二十年以上前のことでしたし、水引細工で髪飾りを作って製品化したのはそれよりもさらに前のことなのですが、未だにまるで目新しいものであるかのような記述を目にします。ですから、そのうちに製作の足跡を年譜にして行こうと考えております。自分達がいつごろどのような作品を作ったかの記録を残すことで、自分達の創作のオリジナリティを理解していただきたいと考えるからです。
製作の原点にあるもの「テーマ・主題」と、其のテーマ・主題を「実体にするための技術」をどうやって開発し決めたかを語れるのはそれを一番最初に決定的な形に確立した人だけです。そこの部分を自ら表すことで、自分達の独自の美学と哲学を伝えたいのです。
どこにも手本があるわけでもなく、誰も作ったことのない物を作ることの難しさと苦しさ、そして出来上がったときの感動はそれを行ったことのある者だけの物です。形だけをなぞるのなら技術のある人間ならある意味いとも簡単に出来るのですが、そうして作った物は内容のない空虚な物体でしかないです。
手本のない、先例のないものを作り上げるために最も必要なことは、テーマに対しての本質的な分析と、素材に対しての姿勢、「美学と哲学」だと思っております。どんな美学と哲学を持って作品を作ってきたかを伝える時期であると考えております。
つい昨日、お店で叶結びのストラップの説明をバスの添乗員様に申し上げたところ、其の方曰く前に来た際にお買い上げになられたとのこと!さらにどんな願いをかけたのかとたずねたところ、「願いが叶ってバス添乗員に成れたのよ」との返答!!!!嬉し涙が出そうに成りました。作品はそれを所有した人の心に触れてさらに成長するものです。作品はそれを求めて下さった人の手の中・心の中に納まって完成するものだと、実感させていただきました。
下絵に付いてのこだわり
家紋とはいったいどんな絵でしょう?考えてみたことはないかと思われますが、よくよく考ますと、想像以上にあいまいで、想像以上に厳密な画であります。
さて、皆様が多く目にする家紋の姿は、「墓石」であったり、「紋付」、あるいは「提灯及び提灯箱」などでありましょう。
ところが、同じ家紋であっても何に描いたか?何で描いたか?によって姿が違っているように見えたことがある方もいらっしゃるでしょう?実は、家紋は「何に描くか」または「何で描くか」によって、姿が変るのです。
墓石の家紋
今日では多くは機械で彫ることが多いと聞いておりますが、どんな方法で描くにせよ石は「欠ける」という性質がありますので、「欠け」ることを考慮した下絵を用いているようであります。
石に家紋を描く場合、多くは線を太くしておるようで、墓石の紋を見て、丸輪ではなく二重輪に入るものだと思い込むケースも多く経験しております。
かつては、小さな地域ごとで、石屋様等が手描きで「石」専用に割り出しを行って下絵を描き、彫っていたようで、地域性が顕れる場合も多く有ったようですが、それは素材の持つ制約に沿って家紋を描き、彫ったからであると考えられます。
墓石の家紋は、家紋としての「画的」な完成度は出すことが難しいことが多かったようですが、素材の半永久性という飛びぬけた性質から、百年単位で家紋を伝えてきているのも墓石の家紋であります。
紋付の家紋
紋付の家紋は、ある意味最も正しい「絵図」としての家紋です。紋章上絵氏の方々は、「ぶんまわし」と言う「ふでこんぱす」・溝ひき定規等を駆使して、図形的に厳密な割り出し・割り方を行い、染め抜きようの型を作成し、型を染め抜いたところに筆描きで線画を行っております。
この紋付の家紋は図形的な厳密さが高く、また「手描き」の美しさと「味」というものがあります。描き手の感性が発揮されるところが素晴らしいものであります。
ただ、「味」の根源を成す「筆の線」は、その「太さのむら」こそが筆勢であり、本質でもありますから、「型」の厳密さに相反して描き手に依存した「描」としての面があります。
所謂「家紋帳」の家紋が紋付の家紋でありまして、これをコピー機等で拡大縮小してみるとわかるのですが、線の太さむらのために比率に絶対性が無く、簡単に柄や模様・構図が潰れてしまうのです。つまり工芸品の下絵には適していないのです。
というか、やはり紋付の上に手描きされてこそのものであり、そのための様式であると言えましょう。
そもそも紋帳は「これを目安に自分で割り出して、自分の筆で描け」と言うものだと、紋章上絵氏の方から聞いた事もあります。
提灯・提灯箱の家紋
提灯の家紋は、曲面に書くためのものなので独特の様式を持っていることがあります。例えば木瓜の中心の円は塗りつぶさない・柏、蔦、の葉脈は減らして描く等がしられていますが、所謂家紋帳の家紋とは異なった姿に描かれることも多々有るものであります。
描き手の方は提灯のための様式で書くのであって、わきまえて、理解があって書くものですので、家紋を曲げたわけでも、勝手に変えたのでも無いのですが、姿が変わることがあるのです。
家紋は、何に描くか、何で描くかによって、「線の幅」の基準や性質が変ることにあわせて比率を変えて描きなおされるものと思っていただけるとわかりやすいかと思います。
また、染めであったり、瓦であったり、塗りであったありと、所謂「工芸」系の家紋は、素材の性質に合わせることが、「画の図形化」となることから、素材の性質に合わせた図形化が行われることが多いものです。
ただし、御大名家等のためのあつらえ物以外の場合は、ある意味「量産用の統一規格化」
と言う側面があり、画としての美しさや味に欠ける下絵ができてしまうことが多く。また全部の家紋を網羅することが事実上不可能な事から、統一規格化ができている物がカタログかされ、カタログに載っていない紋章は作れないという場合が多く有ります。
私どもの下絵、そして作品
私どもは水引細工師です。水引細工の技術が総てで、六メートルの竜から三センチのブローチまで、注文を受けたなら作れないといって諦めることの無いよう常に全力で完成させてきました。
そういった中で水引細工の家紋の注文を受けて、作成する際に何時も大切にして気他のは、水引で作ることによって縁起の良さと、紋章の持つ美しさと意味・内容が表現されるようにということでした。
水引細工は、指先から水引にお願いをして、心を込めて細工するものです。本数の約束事からはじまり、結びの意味内容・色の組み合わせの意味内容を必ず重んじて、素材を敬い、用いる人を思いやる心で細工するものです。
同様に家紋にも、家紋の約束事や意義・内容があるものですから、作成のたびに其の時其の時に向かい合う家紋の意義・内容を学び、その紋章の美しさを構成する図形的な美と、込められた思い・由緒を分析しました。
結びを行わない水引細工ですから、最初は戸惑いもし、抵抗もありましたが、全力で取り組み、試作を重ねる中で気が付いたことが、「平行線の美」ということでした。
水引細工は、複数の水引を、「平に揃えて結び」形を作ります。出来上がるものは、平行線によって構成された直線と曲線の交差と並列で描かれます。この「平」と「揃う」こそが、水引が縁起の役目を担うこととなった大きな要素ですが、平に揃った平行線によって描かれた家紋がとても美しいのです。
遠く飛鳥の時代にその起源を持ち、国風文化の平安期に確立した水引は、その幅・しなやかさ・厚さ等総合的な質感と数値的な寸法サイズが、平行線で形を描くことに最も適した物であるということに気が付いたのはその時でした。
数百年の歴史の中で、洗練に洗練を重ねて定まった水引の寸法の持つ力に気付いた自分達は、水引は家紋を最も美しく描ける工芸素材に成り得ると考え、水引で家紋を描くために最初の最初「半径」を水引では何本分と定めるか?という難問から取り組み、「色紙サイズの紙の上にどのような家紋でも描くことができる」半径を定義し、あらゆる家紋を平行線によって美しく描いて下絵の様式を確立しました。
同時に平行して行ったのは、家紋と模様の歴史を調べる事と、その様式美を決めている決定的な要素の分析でした。
模様にも、水引同様に中国文化の故事や陰陽五行に基づく「縁起」が込めれているものなので、こちらはすんなりと把握・理解できましたが、家紋の歴史は日本史を文化史面から見つめなおすことと、また日本史を様々な立場に立って、それぞれの立場の当事者の気持ちを思って見つめなおすことでありました。
人の行い・判断の中の最も気高く・誠実な部分を評価し、歴史が人と人との支え合いであるという視点に立って、総ての人の中にある敬うべき人間性を見出すことでありました。
自分達に何処まで出来るかはともかく。志というところでは出来るだけ高いものを目指して作成をしております。
紋章の様式日を決めている決定的な要素の分析については、こればかりは文字通り秘術なので語ることはできませんが、数式化した上での人間化。ということです。
水引家紋拡大図
最近のご紹介
clipper様のブログ内にて水心の「水引名古屋城」を紹介していただいております。関西方面からの飯田他南信州方面旅行記として大変に興味深く、また勉強になる記事でありました。「http://4travel.jp/traveler/ssc9410/album/10145833/」
わかるとできる
ときおり、お客様で水引にふれた事のある方、水引を趣味でなされていらっしゃる方が水引の作品を見て「これはできそう」とか仰ることがあります。なかなか難しい話なのですが、私どもにとって「出来る」と言うことは、ムラのない精度でロットと納期とを守って作れると言うことであります。この場合は「わかる」と言う状態と受け止めます。
わかるとできるの間には壁が一つあります。己を克服しなければ出来るようにならないのです。さらに出来ると使いこなせるの間にも壁があります。さらに、使いこなせるの上に「創りだせる」があります。
上にと言うと語弊があるのかもしれません。「創り出せる」とは正直何処にあるのかわからないもので、どう修練しても行き着けないものです。
自分は「新作」を創りますが、それは正直いって「運」と「天分」と「修練」だと思っております。運とは親も水引をしていたと言うこと。天分は作りたいと思うものを形に出来るという手先・指先を持っていると言う事。修練はこれは本当にきついもので、絶対にあきらめずに練習し、挑戦しつづけることです。
修練無しの創作はありえません。運にしても、それを掴むには修練無しにはありえません。天分にしても、自分が作りたい様に作りたい物を作ったところで、真の創作といえる「洗練を経た完成度を持つ物」になる事はなく、己を捨て己を克服する修練無しには「わかった」の段階の物しか出来ません。結局修練無しには何も出来ないものです。
わからない事には出来るようになりません。だから沢山のことをわかるよう努力します。出来るようになってからが正味で、使いこなせる用になるための修練の始まりです。修練には終わりはないですが、修練三年位でで思いついた「形」がある程度作品となります。
作品とは自分以外の人が見てもそれが何を表現しようとしているかが判る物です。それからさらに二年くらいで作品が商品になります。商品とは人がそれを手に取ってお金を払ってくださるものであります。
何かの形をつくっても、自分以外の人がそれを何を表わしているのかを判ってくれる事はなかなか無いです。まして興味を示してそれを手に取ってくださると言う出来の者は滅多に出来ません。お金を払って求めてくださると言うことになるとやって見るとわかりますが、正直奇跡的な出来事です。
水引・元結の紹介
元結 水引 「結び」 → サムライ ニンジャ ゲイシャ 結納
サムライと元結
サムライのシンボルである「髷」、を作るのは第一に元結である。髪をいためず、しかもしっかりと美しく整えることを可能にしたのは「飯田の元結」である(極論ですが)。この「髷」はやはり「正装」であった。日本人は改まった物事においてどうも水引(元結)を使う様である。
文章、贈り物(プレゼント)の正装には元結の美装版である水引が用いられ続けている。
元結とニンジャ
元結は細い紙を紙縒りにしたものなので、実はほどけば字が書ける。また紙を紙縒りにして元結にすれば、誰にも内容を見せない形で、しかも持ち歩いていることにも気づかれないまま重要な文章(情報)を運べるのである。ニンジャにとって元結・水引は密かに重要な通信手段であったのだ。
時代劇特に遠山金四郎関連の時代劇での悪役の定番「後藤三衛門」は実は飯田の水引問屋出身・・・幕府関連のニンジャには飯田元結の技術協力なんかがあったかもしれない・・・・・
ゲイシャといえば
日本髪、日本髪を形作るのは何しろ元結、それも日本の元結は今も昔も飯田産。私の散歩コースの一つである鼎・下茶屋には今も国技館やら、日本全国の神社やら、歌舞伎役者さん・ゲイシャさんに元結を供給している「松文」さん(建物はなんと安政年間のものとのこと)があります。日本髪文化を支えている元結、もっともっと皆さん使ってやってください。
というわけで、海外で日本と言えば の次にでてくる「サムライ」、「ニンジャ」、「ゲイシャ」はすべて水引、元結と切っても切れないものなのです。
もはや最近の更新ではない七月のことでありますが、ゴールデンタイムのCMに出演されていらっしゃる某ナニガシ様を扱う仕事をさせていただく光栄に預かりました。もう製作中は手が震えそうな緊張感の中での日々でして、なんというか大きな仕事の怖さと快感をひさびさに体感できました。続き
必見フラッシュ発見。つくった人は京都の人らしい。家紋のかっこよさ再発見です。
「KAMON」

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