第十五章 新屋村物ぐさ太郎の事

 安曇郡新屋村(23)善太郎が家に泊りしが、よもすがら此邊の噂をするに、善太郎がむかし

物がたりをするには、この穂高組重柳むら
(24)に、人のよくしりたる、物ぐさ太郎とてあり

しが、あるとし妻におくれて寡
(やもめ)にて農業をするに、其あくる年、田を植る時分にな

りて、早乙女を雇し中に、一人の女、稲をうゆるに、三四人の働あり。其外内外の賂ひも、亦

(またき)ばやに心付て、取締(とりじめ)よければ、更に雇人のやうにはなし。物ぐさ太郎

も、今は妻なければ、かの女を妻にすれは、萬まはりよしと思ひある時、ひそかに妻に成て此

家を賄ひくれまいかと申すに、女も終に領掌
(れうじゃう)して、それより妻となり、年来夫

婦中もよく、男子一人をうむ。

此子三歳の時、父物ぐさ太郎野より帰りて、あたりをみれば、妻は子に乳を含ませて、臥床に

入たり。其姿を見れば、よく臥けるが、着物のすそより、狐の尾見へける。

物ぐさ太郎驚き、ひそかに其場をさり、外面へいで、さてさてあやしき。これまで、常並々の

女と思ひしが、さにはあらず。けふ迄も、さりとはよき妻をえたりと、思ひの外狐也。

われに因縁なくば、かれが是迄ふ筈はなし。しかし、けふは思ひよらぬ生體を、見顕はせし

は、さてさて気毒。さあらぬていにもてなすべしと、又改たに帰りたる風情にて、さわがしく

内へ入に、女おどろき起出たり。いつものごとくにて、其日も過ぬ。

翌日又野へ行、日午
(ひるどき)宿へ帰りしが、三歳の一子母の居ぬを歎く。

物ぐさ驚き、扨
(さて)はきのふ、かれが性體、ちらと見たが、はや其ことをしりて姿をかく

せしか。

さてさてうらめしや。はじめ妻にをくれし時は、我ひとり也。今又われひとりになりては、農

業の中に、此三歳の小児、われひとつの手にて、此せわを何とせん、汝の性體を知らねば、か

やうのことはなきもの。是はわれに性體を、見せ顕はせしは、汝が誤なり、せめて此子、乳の

せわもなきやうになるまでは、今一たび家に帰りてくれよと、ひとりくどき泣しづめども、何

のしるしもなく、とかくするうち、農業の中に、小児のせわ、かれといひ、是といひ、心苦し

く暮し、月日を送りけるほどに、家は次第に富栄、其狐の子は八十有余までながらへ、延享の

ころ、なく成しといふ。

其子孫今猶さかへて、此所にて高持の大百姓と成て、今に繁昌せしが、其子孫多くあり。

いづれも家をわけ皆歴々なるが、此血脈
(けちみゃく)の子孫の掌は、いづれもいづれも皆丸し。

是其證擔也。人々ふしんする也。此穂高神社の邊に、かの物ぐさ太郎の墓あり。

かれらの先祖なりとて、其家々より守護する也。

物ぐさ太郎は信濃新江の人とす。此新江は、今此新屋村といふ。

 此物がたりを聞に、しのだ妻(25)などいふことによく似たり。

世にはめづらしきこともあるもの哉と皆々嘆じぬ。

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