第十六章 日本に蝋石ありに筆草の事
安曇郡(あつみこほり)、千國(ちくに)(26)むらの山中に入て、山の様子をながめけるに、
はじめ焼石多ありと思ひしが、所の人案内していふには、此石ことごとく名石にて、日本
にて此山ならで外になし。
異國(から)の蝋石といふ物と、一つものなりといふに、手にとりよく見れば,誠に妙也。
和石の温石とは違ふ。又彪(とらふ)、さらさ、ぶどう石等にもまさり、眞の青田石(らふせき)
にて、これ全く、石印彫刻に用ゆるには、其はだへ異國の石にまさる。
年へたる上品のものは、適々江戸あたりへもち行て商人へ渡すに、異国の蝋石と一つにして商ふといふ。
又谷を隔て、種々の砥石あり。又ある谷よりのぼれば、硯に成べき、赤石、青石、斑入など
多し。重さ江州高嶋石より、凡一倍ほど重く覺ゆ。
又此山に筆くさあり。夏の日とりて、日にほしたるを見るに、今の筆なり。
軸直して手にもつに心持よろし。大小さまざまあり。
墨ふくみも又よし。しかし今日本流の和様といふ風は書にくし。
中華様(からよう)の艸書などを運筆(かく)に甚妙也。
縁あらば求めとりて試むべし。
しかし異国にては、むかし専ら用ひたるよし。後世毛にて製することをたくみてより、此ふで草は用ひず。
上古専らありしものゆへ草書などを書に甚よし。
又篆字(てんじ)も心よくかける也。其圖左のごとし。
此筆草いまだ生ざるまへに、山へ行しゆへ、生草の形をしらず。
ほし乾かせて用る所を見るまゝにしるす。