第十九章 金峰山やま男の事

 
 金峰
(きんぷ)30といふ山は、瞼岨にて谷々多く有べしと、推量せし山ゆへ、其あたり

に、惣兵衛といふ百姓、しるへなるゆへ、これへゆき、金峰の案内
を乞ふに、惣兵衛も金峰の

案内しらす。人の噂を聞に、杣人などは、山
の案内をしりて、日々通ふことなれど、是等の咄

し、かねがね聞しが、
中々容易に、登りがたしといふて、とゞむ。

其故を聞に、此山には、
山夫(やまおとこ)といふものありて、人を見ると、其人をよぶこと、

こたまのごとし。おゝいおゝいと二聲三聲。

つゞけてよぶ時は、杣人とても、あはてゝ、山を逃下る也。

おゝいと一こゑあることは、折々あれど、是は少
しも障なし。

二聲三聲は、決して引つれて、行方しらず成行もの、むか
しも今も、替ることなし。

其形は、人間に三増倍ほどにて、亂れ髪長き
こと、腰を過たり。

年わかきは髪赤黒し。髪の白けて艶なきは、定めし
年つもりたるもの成べし。

木の葉を繋て箕のごとくして、身につけた
り、體はすべて毛だらけにて、いとおそろしく、折

々小獣を携へゆく事
あれば、それらの物を常に喰ふとみへたり。

杣人は折々見れども、障
りなし。いかなることか。

 三聲四聲と、せわしく呼時は、引つれに来る。其聲を聞馴し者は、山へ入りても、驚かねど

も、其よしをしらぬものは、終に山夫にうばわる
ゝこと有べし。

ある年他國の盗賊、此深山を隠れ家として、身を隠さんため、岩間に忍び居たりしが、山夫

に狩出され、さんざんに逃走りたれ
ども、はや二人までは、引つれゆく。

残るもの三人有しが、肝をひやし
て逃さるゆへ、杣人どもあやしく思ひ、皆々集り、其三人を

取かこみ、
詮義するに、盗賊なる故生捕にして、其儘官に訴へ其罪露顕せしうへ、江戸へ迭ら

れしことあり。必此山へは行べからずと、おしてとゞめける
故、やめけり。

  然るに此山夫のことは、前編の遠山奇談に梶谷山
(かじややま)の所にて山夫出たることを
  顯したり。前編の中へ、此金峰のことを、記すことなれども、前編は遠山へ入ての奇談の
  みゆへ、事の紛れるを憚りて、前編
には洩して今こゝに出す。
  此金峰のはなしは、杣方平五郎、吉兵衛
に、物語りして、とかく深山にはかやうの事有べ
  しと、いひ聞せ置
たるゆへ、かの遠山にかゝりし時、梶谷山の段にて、山夫の出しを、其
  事とこころへ則山夫に佗言をいひ、又山夫、そこをさりて後も
かくべつおどろくていなく、
  よく休み、ね入たることなどを書記せ
しが、此金峰のわけを、前に聞しるゆへの事也。
  これによつて前編
の遠山奇談を見て、此わけを考へ知るべし。すでに此外に、おそろしく、
  又めづらしき奇談ども多あれども、此後編にてはいひつくせ
ば、又事しげくくだくだしく
  て紛らはしくなるゆへ、こゝははびき
て、續編へまはし書顯すべし。
  續編成しうへにて、前編、後編、續
編とならべ見合て、奇なること共の、始終を見給へか
  しといふ。 

                                   遠山奇談後編巻之三 終

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