遠山奇談後編 巻之四

第二十章 たてしな山にのぼりて異鳥をみる事


 蓼科山は、遠山からも、よく見へわたりて、馴染しごとく思ふて案内をたのみ、山に入るに、

中中高山にて、三郡をまたがり、山の大き
さ、凡三十里といふ。

水の響あはれに、物すごし。木だち又するどく、
谷峰をめぐるうちに、雷の床という所有しが、

岩をかさね、木々にて生
からみ、いと物すごきありさま。うへより、幅一丈斗なる瀧おつる。

れより外へまはれば、壁のごとくなる岩、數十丈あり。

又かなたに
姫子(ひめこ)といへる松のびて砠(いしやま)をつゝみ、日にうつれば、着たる衣

裳は、みどりに影うつりて、うつくしく見ゆる。たとへをとるにものなし。

絶頂には、すべて土なし。盤石は瓦を敷たるごとく、松は筵をならべたるごとし。

ふしぎなるかな。此高山に小鳥のこゑして、其松のうちにありとみゆるゆへ、上よりよくよく

考へ見るに、鳥にてはなし。栗鼠
(りす)のごとく尾ふとくして、毛も栗鼠の色なりしが、白

毛まじりて斑なり。此獣何といふか
しらず。

其鳴こゑ小鳥のことし。其こゑのさへたると、その姿のうつく
しきことになづみて、人々これ

を捕て弄びとせんとて、折々是を捕こと
をはかれど、勢ひはやく、猛ものにて、手にまはらす

して、今に人の手
にいらずといふ。

此所に、たてしなの神祠をまつる。纔の祠あり。又四
季ともに、此山雪あれば、飯盛(いひもり)

の山ともいふよし。磐井といふ所あり。

岩筋違に入ること、六七尺。水清々として水昌のごとし。上旬の節は水多し。

下旬になれば水少し。高根にかゝれば、凡七八尺廻りある岩穴有。

姫子松あり。生のびてやねをなせり。此岩穴を蓼の泉といふ。

水を
結びのむに、酒のごとく味あり。延壽の徳あることを譽て、傍に石碑あり。

しかし夏のさかん成時ならでは、酒の味はなし。此岩穴を流れいで
しやいなや、さらに洒の気

なし。奇なること成べし。此峰のつゞきに、
池一つあり。

凡五十間四方にも見ゆ。此水又清々たり。見るうち、あち
こちと、浪立ことあり。

是は魚にてはなし。長さ五六尺ばかりにて、實
に龍の像に見ゆる。

何にもせよ長物の類哉。夏夕立つよく水まさる時
は、やゝもすれば溢て谷川へ流れくることあり。

其時手ごめにして、取
得たること有しを聞に、頭めうじのごとく、短き角まがり、甚柔和に見

て勢ひつよく、手足は鰭(ひれ)のごとく、水かきめきたる物あり。

尾は馬のご
とくにして、二尺にたらず。もゝをひらけば、水かきのごとく、繋て引のばせば、

廣き所壹尺斗體は麟なくして鮫のごとし。色は萌黄めきたる
もあり、赤めきたるもあり。

青貝のやうなる色也といふ。其時麓の人々
打殺したりと思ひ、人々集り見物せしに、まことに

生絶たるさまと思ひし
に、俄に飛あがり、躍散(はねち)らけ、いづくともなく山へのぼり、

逃去。

人々惘(あき)れはてゆめ見たる心地しけると也。此たてしな山にすむ鳥も亦異鳥也。

人家にある、鶏のごとし。しかし戴冠
(とさか)たゝず。尾も短く、雄のかたち、

しやむ
31ににて、大きさ二尺ばかり也。黒色に白斑あり。かしらに丹頂の肉あり。

雌は黄雌鶏(かしわ)ににて、胸のうちは黒く、白斑ありて、雄のご
とく、つねに岩穴に

すみて、松のみどりも喰
(はら)といへり。鳴聲鶏によく似たり。

雛も有しゆへ、是も折折奪んとせし人あれども、手に廻らずと
いふ。

雛などは頗
(すこぶ)るはやし。小獣は、此鳥を恐れて逃さる。

鳥は小獣を迫ひ啄
(ついば)むこともあるよし。像うつくしくして、猛もの也。

ある時いづくともなく、鷹一羽来り、雄と争ふて鷹ついに啄まるゝ。争ひ時刻かさな
りて、麓

ちかく下りしゆへ、此里人是を見て肝をひやす。

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