第二十二章 戸がくし深山に靈現あらたなる事


 六月中旬戸隠大明神32へ参詣せしが、社地の山さへ、大山なるに、後に戸がくし山とて、

峨々
(がが)たる大山を覆ふて、いと物すごきさまにてぞありける。

奥院十二坊、中院廿四坊、寶光院十七坊、合して五十三院あり。

中院比丘尼石(びくにいし)より女人禁制也。社中にふしぎなることあり。

本社のならびに九頭龍王の宮とてありしが、是を龍の窟と稱ず。

地主(じしゅ)は九頭龍権現と申。世に生神といふて、人恐るゝこといはん方なし。

龍権現は、一ケ年四十石の御供米を附置るゝに、毎夜三升を炊て飯とし、御供所にて是をとゝ

のへ、内陣に備ふるに、一粒ものこらず、なくなる。又願望の人ありて、梨子を供ずるに、是

を食せらるゝをと、社
(やしろ)の外までも聞ゆる。

いかにも生神にして、いとおそろしく、神禮は、龍の頭ばかりなりといふ。

此龍神のからだは越中の國にありて、北方黒水りす龍の宮と稱ずるものは、戸隠の龍のからだ
なりといふ。


さて此戸がくしの奥院大日が嵩
(たけ)といふより、絶頂にいたりては、六月朔日より、七月

中旬までのうちのぼること也。時しも六月中旬あまりなれば、案内をもとめて、山に登しが、

奥院は大日が嶽といふて、坊より七里あり。此間に拜所十三ケ所あり。

五里ほどゆけば、小池といふて清潔の清水湧池あり。径
(わたり)四五尺斗にて、甚だ清し。

此所より外に、水一滴もなし。しかし此池には鼓蟲
(まひまひむし)のやうなる黒き蟲、一面に

覆ふて、清水を見せず。
しかるに此水飲んと思ふ時は、あたりに有あふ、葭茅(よしかや)

もつて、
此水をあたへ給へといふて、水中に丸く輪をかく。さすれば此むし四方八方へわかれ

て、暫くの中、印たる輪だけは清水を顕はし潔き水をみる。其所
を汲えて飲こと也。しかし幾

人にても、獨り獨り此ごとくにする。水
を望もの一人相済(すめ)ば又蟲羣(むしむら)がる故、

別々に輸をかきて、水を汲とる也。

是甚だふしぎなる事、奇といふべし。又妙なるは、我喉を潤す外に用意がましく、貪欲に汲え

んとする時は、蟲さらに退ず。たゞ其時乾をとゞ
むるだけのこと也。是亦妙といふべし。

此所迄五里の間、休所なし。是
より松原七里、劍が嶽といふ難所にかゝる。

七里松原といへども、四十町餘にて六丁一里なり。

これ絶頂也。左右の谷より、五葉松生茂り、此松小えだほそく藤蔓のごとくにて、折れもせず。

外の木にからみつき、藤のたなのごとし。此上を通り
ゆくこと也。

それより劍が嶽へのぼる。

誠に劍を立たるごとくにて、の
ぼりつめてたゝずむ所なければ、直に下る也。

(いただき)のみちは魂をけす斗也。これを暫く下ると向ふに大日があり。

石佛の金胎兩部の大日二尊
あり。谷を隔てゝ拜むゆへ、凡三四尺に拜るゝ其本へゆかば、定て

大佛
なるべし。崕岸(がけぎし)さかしく、中中人の通路あるべき所にあらず。

しかるに、常に霜ふかく立こめて、二尊を拜むことあたはず。念佛を高聲にて唱へ、

あつく信心をこめたる時は、暫く霜はるゝゆへ、皆々信をとり
て、念佛す。

此所は中々嘲りうかべるものはなかりき。自然と信をとる
やうになる、恐ろしき所也。

念佛申せば、霜はれて、大日尊あらはれ、
拜し時は、げに恐ろしくて、わすれられず。

ふしんといふも愚也。此上
朝日夕日には、五色の雲、虹のごとく立、山中のこらず、金色の光

り。是を來迎といふなり。つねに禅定なし。此山を他の山より眺ば、山は碁石を布きたるご

とく、されば此山深ふして、人跡まれなるゆへ、古
しへ妖賊楯籠(たてこも)りて、民の害を

なしたることあり。

 むかし坂上田むら丸、國家を鎮めんとて、此山へも入て、妖賊を平げし時、逃さるものを

追ひちらすに、終に遠山の深山へ隠れしを、穿
(うがち)さがして、終に退治せらるゝ。其時

椎河といふ大河、天龍川と打あふ所に、
大蛇出て、田村将軍をめざす。

これ世の害也とて、これも終に退治せら
れて、其印を石碑にのこさるゝことは、すでに前編の

遠山奇談にくはし
く記す。今は妖賊などすむ所にあらず。

奇なる山にて、心直ならぬも
の、登山すれば、とかく路遲くて墓(はか)どらず。

思ひの外にまよふて、日も
かたぶきて、怪異におかされたることを、いひつたへて、戸がくし

は恐
ろしき山といふ。又たまたま小池まで行て、渇にのぞみ水を飲んとすれども、小蟲さらず

して水をあたへず。やゝもすれば頭痛して身體をなや
まして、登ることあたはず。奇なること

といふべし。今は斯のごとくな
れば、中々妖賊など、住なすこと思ひもよらず。

怪異などに出あふ人
は、心正しからざるゆへ、冥慮のとがめと思ひ、つゝしむべし。


第二十三章へ


補注