第十二章 青くづれ山 西澤山 七つ釜の事

 
 卯月十五日にもなりしかば、傳聞
(つたへきく)青崩山(あおくづれやま)へ入んといふに、同行

はいづれも是迄あやしきこと共見聞につきて、すこしこゝろも倦たるさまを、齢松寺さとし

て、道理尤と思へども、濱松を立出てよりたまたま是迄きて、かれこれと大木もしるし置、今

むなしく帰國せば、孟子の母機を截たとへに似たり。日本無双の大伽藍をふたたびするは、

門末の心にあり、應悪道必無間の族
(やから)無一善のわれわれが、上求下化(じやうぐぼ

だいげけ)
衆生の利益にあづけしめ給ことを聞せられし。さばかりのうてな火のために失しとて力

及ばずとてせぬは我がせぬ也といふにあたれり。何の為にこれまで来りしや、はじめのいさみつ

らぬくべし。

彼大伽藍再び建るは人のためならず。

 徳を蒙り恩を謝するは人道(にんどう)のおしへ、これさへ軽からぬことなるに、其佛の衆生

をあわれみ給ふことはかねて聴聞せられしごとく、愍念衆生如一子と説給ひ、われら衆生を憐

み、五劫思唯の修行をなしたまひ、その難忍能忍は巌の上に座禅し、雨露のいとひもなくあら

せられしは何ゆへぞ。

 今のわれわれのまよひをあわれみ、衆生ほとけにならずは正覚ならじとちかひ、其正覚成就

せし御ことならば何の疑かあらん。

此うれしさをおもへば粉骨砕身すとも何か命の惜からん。

是も地ごくの苦みにくらべば妖怪も物のかずかは、いかなる悪鬼邪道の障碍(しょうげ)をなす

とも、祖師(10)の御おしへなくば無間地獣の業なるに、その御恩を思へば、これらごときの事

に身をころすとも、九牛が一毛も佛恩には備はるまじ、しかればおそるゝにたらじ。と気を引

立られしに同行やうやうに出立たり。

四里行ば翁川とて深さ四拾余丈の谷川を幾度かちどりにこえ、遠州信州のさかい辰洞(たつのほ

ら)
といふより、屏風のごとく青岩幾千丈も立聳、馬の背を行ごとく両方の谷底くらくして、

いと遠く足をふるはす斗也。すべて崩かゝりたるゆへ青崩山といふ。

五六十丈余にも見へし瀧あり、那智の瀧をあざむきしやうに思はる。

左りへ攀のぼれば西澤山也。大木三本見當れり。

一丈二尺廻り。長さ七間斗。其外九尺廻り長さ五間余。

五本、桂、栂、粟などの大木皆一丈二三尺廻り、長さ七間半余なり。

皆々しるし置けり。かて行ほどに木々繁りあひて闇夜のごとく、只瀧の音のみこたましていと

物すごし。

 しかるに大岩そびへ落かゝる岩ありて人のゆきゝする所にあらざるに、人馬通しごとくに磨

(みがけしみち)あり。

是を行には逆(さかしま)にゆくか横行してゆくにあらざれば、此足がた合鮎ゆかずとあやしげ

に人々いひあへり。

 杣平五郎これをさとし、是はまさしく山男の通路なるべし。

此山男といふものは、神通飛行して山神同前のもの也。

山のせいなりといふ。取わけ此山にあるとかねて聞つるが、定めしこれならんと物がたりする

に不審をはらしぬ。
此夜は嶋河原佐忠治(さちゅじ)に乞て宿をもとむ。

 翌十六日は山案内をたのみ乞て都合十一人、梶谷山(かじややま)へかゝるに七つ釜(11)とい

ふ所へ行。大瀧七つあり。


いづれも五丈斗、ながれ落瀧壷深くしてするどく、水音四方一里ほど谺してしかも難所也。

瀧壷をすべて釜といふよし。

七つ釜のうち三つ登りて槻(けやき)あり一丈二三尺廻り長さ七八間塩地桂(しおぢかつら)八九尺廻

数多、其外樅八九尺より一丈まはりかずかず帳面にしるしひかへたり、難所を凌こゝかしこと

尋ねゆくに日も夕陽
(くれかた)におよぶ。

大木大岩にたより枯えだを拾ひもとめて薪として、こよひはこゝに宿りぬ。

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