第七章 おく山平右衛門家に逗留し、猟師吉兵衛をやとひ深山へ入、けやきの大木を見付

      ること


卯月十一日には、みさくぼを八丁過て、小畑やしきといひならはして山中三十八ケむらの

名主奥山平右衛門といひしが、此日はこの所にて
足を休め、此度のねがひをかたるに、志ざ

しのせつなることを感ぜられて、
ともに力を添られ懇懃(ねんごろ)におしへくれらるゝによ

り大に力をえたり。

是より奥には人家なし。こゝにて何事も用意し調度なども取揃へ、盥、(みそ)、鍋、莚、

渋紙、苧縄長サ一丈余、なた十挺。
銘々一筋になた壹挺づつ持ゆく。

平右衛門へさしづにて猟師吉兵衛をめしつれ、十二日に出たち深山にむかふ。

さて諸久須山(もろくすやま)山王の荒出来瀧(あらできたき)といふ所へかゝる。

此瀧つねにするどき瀧なるに、雨氣などそへば勢ひにしたがひ思ひよらぬ所へながれ落て瀧

となるゆへ出来瀧といふ。
是より奥はさらに路なし。

是を攀のぼるに藤づるをもてちどりにまとひ、はしごのさまをなし、かべのごとくなる巌を

登見れば山王の荒
(あら)へつく。高山の澗水(たにがは)なれば何十丈となき巌立ならぶけ

しきいと物すごし。

此瀧川をつたひ八丁斗行ば大岩亂杭の如く、あるひは岩間をくゞり飛またげたることなれば

手もさへがたきことなりし。

すべて此岩の立そびへしあたりを荒といふ。

夫よりわけ入ごとにいよいよ足がゝりなき岩づたひ瞼岨いふ斗もなし。

さらに足がゝりなき所は、かの苧縄に錘(しづ)をつけて岩角大木などにふりかけ二重にして

手にとり、是を力として足の大指さへかゝらば飛通ひたる、
危きこと共中々いひも盡せぬこ

と也。

木々茂りて手元の雑木は多棘のごとく着類をやぶり、又身にもあたりて血など出ることを思

ふに、針の山などもあやしまれてたとふるに物なし。

さて瞼難を分つつ行ほどにはじめて槻(けやき)の大木見當れり。

目通(めどほり)一丈三尺廻り一の枝下より長七間余 此の目通とは人の立たる所の目の通りをいふ。

又路廿間余もへだてゝ目通一丈二尺廻り長さ七間余と思しきあり。 

 又樅の大木二本見出しよろこぶこと限りなし。

是迄の瞼難苦しきを暫わすれ、いでや此度焼失し柱のいにしへはかくのごときのものと、と

りどりいひよろこびしと也。

扨間尺(ましゃく)のあらまし帳面にしるし、立木に番付のしるしを彫付、又五六丁も過て大木

見へたり。しかはあれど路なし。

瞼岨を攀岩間づたひにめぐりめぐりて、かの大木のもとへ行けるが、あやしい哉、金の幣一

本かの木にもたせり。

幣の長さ八尺斗にて厚さ二分斗、金とも真鍮ともわかたずたゞきらびやかにかざりたて、し

かも新しく見ゆ。此深山へ身ひとつを行にさへ容易(たやす)からざるに、是いづれより持来たるや

と、皆々あやしみ不審しはべるに、
杣平五郎もかやうのことつゐにしらず、これは全く山神

のなす所か。

つくづく思へば今度われわれ大木を見ありくゆへ、山神のおしみ木なれば神木といふをしらせ

しことにてやあるらんかと、いろいろふしんし、
先禮拝してぞ過行けるに、又すこしひくき

かたに大木見へたり。
こゝも更に路のかゝりなし。

かの綱を木にかけ、よにいふ虎の子わたし(9)などいふさまにて危くもこへ、漸大木のもと

へゆきけるに
目通一丈四尺、長さ六七間余 れも番付してしるす。

又遙の谷に、大木をみる。岩間づたひの瞼岨をこえ見るに目通二丈余廻り長さ三間余もあり。

是も亦しるせり。

けふは難所いふばかりもなく苦しむといへども、大木追々見當りていかほどか歡かぎりなし。

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